越川禮子「身につけよう!江戸しぐさ」おひろめしぐさを検証する
原田実著「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」を筆頭に、既に偽史であると検証されている江戸しぐさ。
「傘かしげ」や「こぶし腰うかせ」等の提唱されている江戸しぐさは歴史的に検証され、江戸しぐさの伝承者である江戸っ子たちを虐殺した、等の言い分も虚偽であると検証され尽くしていると言っていいでしょう。
江戸しぐさ普及振興の先導者(扇動者か?)である越川禮子氏の著書「身につけよう!江戸しぐさ」
江戸しぐさの歴史的検証は何を今更なので、ここでは本書冒頭の、はじめに「おひろめしぐさ」の一部を検証します。
検索してみても、ここを指摘している人は過去に見当たりません。もし先人がいらしたのならご教授ください。
この本で展開する江戸語りは「江戸学」ではなく「江戸楽」です。
明治に西洋音楽を取り入れた時、はじめは「音学」といったそうですが、江戸の生き残りの人が、「音曲は楽しむものだ」と意見したことから「音楽」というようになりました。皆がそのことにちなんで、気持ちよく平和に暮らすための心得(江戸しぐさ)を『江戸楽』といいます。
冒頭から歴史の捏造をしています。
音楽の伝来
宣教師によって伝えられてはいたが、江戸時代末期までは広まることがなかった西洋音楽。日本人が本格的に西洋音楽に触れるのは、幕末のペリー来航からになります。普及は明治以降なので、そこは指摘するようなところではないとしましょう。
漢字の「音楽」の語源は中国秦の時代、紀元前239年呂氏春秋が歴史上初出といわれています。
日本では797年の続日本紀が初出といわれています。但し現在とは少々意味が異なり、特定の楽曲を指す狭い意味として使われていて、広く使われる言葉ではなかった。現代の「音楽」と同じ意味で使われていたのは「楽」の一文字。「楽」の一文字に英語のmusicの意味があります。中国語の「樂」を日本語訳すると「音楽」です。
能楽、邦楽、洋楽、声楽、吹奏楽、管弦楽、室内楽・・・今でも楽の一文字で音楽(music)を表しますよね。
5~8世紀以降、中国や朝鮮半島から楽器と共に「音楽」が渡来し、明治以降に西洋音楽が一般市民に広まると共に、外国から渡来した「音曲の演奏や鑑賞」と言う意味で、「音楽」が徐々に広まっていきます。樂→音楽と歴史と共に変遷がありますが、その昔から音学とは言われていなかった。
「楽」に「たのしい」「快く安らかなこと」の意味もありますが、「楽(がく)」の語源は、中国古代に礼と並んで重要視された概念で,人心を感化する働きをもつとされていました。音楽は人の心を動かします。だから昔は音楽に「楽」の一文字を当てていたのですね。
江戸末期に洋学者宇田川榕菴によって「和蘭邦訳洋楽入門」「西洋楽律稿」等の音楽書が遺されています。宇田川榕菴はCoffeeに珈琲の漢字を充てた人。様々な分野で業績を残しています。
楽焼、旧漢字で樂焼は、ろくろを使わずに作る陶器のこと。人の心を動かす意味での「楽」には、古くからの歴史があるのです。
西洋音楽が日本に入ってきたときから、いや、それ以前から音楽は音楽だった。当時は楽の一文字を当ててはいましたが。
「音学」は言葉遊びとしては面白いでしょう。けれども、お披露目から都合のいいように歴史を捏造しているんですよね。学ぶのではなく楽しむもの。楽しく学ぼう。言いたい事はわかるのですが・・・う~ん。
その後の本書の内容は言わずもがなです。
マナーや思いやりを提唱するのは良い事だと思います。しかし、わかりやくすく広く伝えたいが為に、嘘をついてしまうのは良くありません。
歴史に脚色や創作は不要です。
歴史のジャンルも「偽史は善意から始まる」「複雑なものを単純化すると間違える」と言われているそうです。
登山も、本来は体力や知力、判断力や経験、地理的要素や天候などなど様々な要素が複雑に絡み合い、分かりにくい世界です。世界1高い山=エベレスト=世界1登るのが難しい山、では全くない。「単独」も国語的な単語の意味とはいささか異なる、登山に於いての単独の定義がある。
登山の世界でも山行報告に脚色や創作は不要です。
勇気や感動の安売りに走ってしまうと、栗城史多さんのような人が生まれしまう素地が、登山界にもあったのかもしれません。
amazonのレビューも悲惨なことになっています。原田実「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」ほかTVメディアでも偽史であると検証されていることが、認知されてきているのでしょう。
小説や創作に心動かされるのなら理解できる。しかし江戸しぐさは歴史の改ざんとなってしまっている。創造と捏造ははっきりと分けなければいけない。
人間の「モチベーションとは?」「心の拠り所とは何か?」を考えさせられる。
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