グレン・グールド
孤高の天才ピアニスト
疾走し躍動するバッハ。空を自由に羽ばたく鳥のように、天高くどこまでも上昇していくピアノ。
天才と奇人変人は正に紙一重。自由奔放、天衣無縫、唯一無二、孤高の天才ピアニスト、グレン・グールド。
如何にグールドが変わっているか、まずご覧いただきましょう。
1932年9月25日にカナダ・トロント生まれ。
3歳からピアノを弾き始め、7歳でロント王立音楽院に合格し、14歳で卒業する。
22歳でレコードデビュー、神童はすぐさま絶大な人気と称賛を受ける。
1964年32歳で突然コンサート活動中止を宣言し、レコーディングに専念する。1982年没。
極端に低い専用椅子。猫背になり目の前に鍵盤があるような姿勢で、体を揺すりながら、そして歌いながらピアノを弾くグルード。
夏でもコートを着込み手袋とマフラー、帽子を着用。異常なまでの潔癖症。
食事も極端な偏食で、決まったものしか食べない。
演奏前には手をお湯に浸して温めてからピアノに向かう。
人と会うことを嫌い、自宅に籠ってピアノと音楽に向き合う日々を過ごす。
レコーディングでは「雑音」とみなされたグルードの歌声は、可能な限り除去されていますが、残っていて聴けるCDやレコードも多くあります。
僕はグールドのハミングが聴けた方が、演奏の熱気が感じられて好きですね。そのままCDにしてくれた方が良かったと思う、僕も変人でしょうか。
曲を選り好みし、自分の弾きたい曲しか演奏しない。
几帳面に楽譜通りに演奏することを拒み、曲の解釈もテンポもグルード独自の世界を築き上げた。
時に指揮者と曲の解釈で対立するが、相手が指揮者であろうとレコーディングディレクターであろうと、自らの信念を曲げることはなかった。
ピアノは晩年に最後の録音でヤマハを使っただけ。ずっとグレン・グルード専用の調律が施されたニューヨーク・スタインウェイ。
1960年頃からは、カナダ・トロントにあるスタインウェイ販売店でもある百貨店に眠っていた、1945年製のCD318を気に入って使っていた。
すげーな!完全にイッちゃてるよ!(誉め言葉です)
純粋なクラシック音楽ファンよりも、ジャズ好き、ロック好きに好まれるかもしれない。
Glenn Gould Off the Record/On the Record グレン・グールド27歳の記憶
2019年2月現在、廃盤になってしまっているのが残念なDVD。元はカナダのテレビ局がドキュメンタリーとして放送した映像。
グルードが27歳、1959年のステレオ録音が始まって間もない時代の貴重なモノクロ映像。国内盤の販売元は紀伊國屋書店になっています。
映像の前半はオフ・ザ・レコード
インタビューを交えて自宅、
コンサートよりレコーディングが好き。また、35歳で演奏家から引退して作曲に専念したいとも言っている。
ニューヨーク・スタインウェイ本社地下にあるコンサート部、数十台の販売用とは別の音楽家向け貸し出しピアノの中から好みの1台を選ぶ。
後半はオン・ザ・レコード
コロンビア・レコーディングスタジオでのバッハのイタリアンコンチェルト録音映像。脚を組み、楽譜を置いてもいないし見てもいない。
第1楽章では、通しでハミングしっぱなし。第2楽章では完全に自分の世界に入り込むグルード。片手が空くと、何かが憑依したような恍惚状態で指揮をする。
スタジオのエンジニア達はグールドのハミングを「除草してもまた生えてくる」と笑いながら悪態をついています。
「これは独奏曲だ。歌のパートはないぞ。」とも。第3楽章では満足してノッてくると、録音のプレイバックをモニターしながらここでもハミング。
小学生の坂本龍一が、当時如何にグールドに夢中だったかが書かれています。
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