栗城史多さんについて2(パロる編)

2019年3月12日

音楽評論家の宇野功芳、石井宏のパロディ

15年ぶりにコーホー先生をパロってみる。

ぼくに言わせれば、たった一言で終わりである。「栗城史多など、信じる方が悪い。」知らなかった、とは言ってほしくない。登山を愛する者であれば、そのくらいは知らなくてはだめだ。

石井宏ver1.0.0

これは登山家の死ではない。セールスマンの死である。登山家としての栗城史多の魂は、とっくに死んでいた。

私は栗城史多の登山の本質は、美容師のそれであると思っている。あるいは東郷青児の美人画。往年の資生堂花椿会の広告。

初期は清新な前衛絵画を手がけた東郷青児。その東郷青児が乗っ取った二科展は戦後、東郷が会長として君臨するとお祭り騒ぎに終始する。最初は文化的だった二科展が、戦後は大衆迎合路線をひた走る。東郷自身も戦後は安っぽいイラストのような絵を繰り返し描くようになる。

カラヤンが無条件に賞賛され、「ひび割れた骨董品」に例えられ、最晩年には救いがたいまでに崩壊してしまったホロヴィッツの来日コンサートを褒め称える。

こうした日本ではありがちな文化芸術の陳腐化、芸術や文化、スポーツを経済と同じ尺度で評価する浅はかさについて、登山や栗城史多さんと照らし合わせて書きたいと思う。

学研M文庫版は絶版。
辛口評論家石井宏のクラシック音楽業界の裏側と暗部をえぐる痛快な音楽エッセイ。
指揮者やクラシック演奏家は、決して人格者でも高貴な人間でもない。
批判や悪口に留まらず至高のピアニスト、ホルショフスキーの素晴らしさについても。

宇野功芳ver1.0.0

ぼくに言わせれば、たった一言で終わりである。「栗城史多など、信じる方が悪い。」知らなかった、とは言ってほしくない。登山を愛する者であれば、そのくらいは知らなくてはだめだ。栗城史多の登山は特殊であり、通常の我々の概念にある登山とはまるで違う。

栗城史多は登山家ではない。3.5流の高所ハイカーであり、自己啓発セミナー講師なのだ。魂の深遠さ、その苦しみや痛み、情熱や歓喜といったものとは全く無縁。ただ表面が美麗で快ければそれでよいのである。価値観の多様化などといっても、早い話が、本物と贋物の区別がつかなくなってしまったのだといえよう。

一言で評せば、軟弱の極みであり、愚鈍の固まりであるといえよう。

栗城史多は、人気は高いが味の薄いアサヒスーパードライのよう。

栗城史多の登山はどの遠征も概念が同じであり、同じ内容を語っており、それだけにあとになればなるほどボロが出てくるのは当然といえよう。

通俗的だからわかりやすい。一般受けがする。登山の認知を広げた功績は偉大だ。しかし問題は、多くの栗城ファンが、栗城史多を通俗的だとは思わず、一流の登山家が凄いこと、何か新しいことをやっていると錯覚したことではあるまいか。栗城史多に接して登山に入門するのは良いが、初歩の段階を過ぎたら、他のもっと優れた登山家に移ってゆかなければならないのである。本当に優れた登山家は甘口専門ではない。もっと辛口で、苦い味わいを持っていたり、厳しく大衆を拒否したり、孤独で、深淵で、ときには近寄りがたい存在である。だが、そこを通り抜けてこそ、初めて真実の感動と巡り合えるのだ。

栗城史多はエベレストを自分の宣材道具にしているだけ。 まるでわかってないということがわかった。

宇野功芳は、佐村河内守の交響曲第1番HIROSHIMAに関して「哀れで聴くことが出来ない。」と評している。もちろん、ゴーストライターが作曲していると事実が明るみに出る前に、だ。実際には宇野氏にしては遠回しな文章での批評であったけれども。

僕はYoutubeで佐村河内のHIROSHIMAを始めて聴いて、マーラーに似てるかな、騒がれているほどなのかなあ?程度の感想に終わった。面白くもなかったし、感動もしなかったので、それっきり僕の中では興味の対象外になっていた。

一連の佐村河内の件について作曲家一柳慧氏は、日本経済新聞の連載「人間発見」でこのように語っています。

あの問題は、内容そのものはお粗末ですね。多くの人が関わって、どうして別の人の作だと気付かなかったのでしょう。音楽は専門的な用語がかなりあります。作品を演奏する場では頻繁に技術的なやりとりが行われます。少しでも質問していれば、その回答から見抜けたでしょう。

音楽をどのように聴くかは、もちろん個人の自由です。でも作曲家としては、できれば音そのものを聴いてもらいたい。音は言葉なんです。作曲家の言葉に耳を澄ませてほしい。音の実体を聴いてほしい。音以外の、装飾的な要素ばかりに目が向けられたのが、今回の騒動だと思います。

佐村河内氏も栗城氏も、音楽や登山そのものよりも、それ以外の装飾的な要素ばかりに目が向けられ、注目されて”売れて”しまっていた。栗城氏は登山専門誌の取材は断り、登山を知らない方面からの対談やインタビューばかり受けていました。「回答から見抜ける」人の取材は断り、「回答から見抜けない」人とだけ関係を結んでいた。自分を持ち上げてくれる都合のいい相手だけに交友関係が限られていました。技術的な、専門的なやりとりをしなくて済む人間関係に対象を限定し、贋物に華美な装飾が施されてしまった。広告宣伝、プロモーションの負の側面が浮き彫りになっていると思う。良識が疑われるようなネット記事が今でも残っています。

大きな嘘ほど騙されやすいというが、記譜も出来ない人間が悲運の大作曲家になりすまそうなどとは、少なくとも人並みの良識があるなら、思いつきさえしないものであるといえよう。

栗城史多の日本人初のマナスル単独無酸素登頂も、同様の大嘘であるといえよう。

果たして栗城さんのスポンサーは、本物と贋物の区別が出来ていたのだろうか。

宇野功芳が絶賛している音楽家と酷評している音楽家、この違いが理解できれば、なぜ栗城史多が批判されるのか、理解できるといえよう。

宇野功芳の音楽評論は、ある種ひとつの頂点を極めたもので、余計なことを考えずに音楽を噛みしめるように進めていく。その恰幅の良さと威厳は現今随一といえよう。
一点一画もおろそかにしない真摯さと情熱。細部をえぐった、きれいごとでないひびき。実に堂々たるもので、切れば血の出るような生きた評論を創造してゆくといえよう。
最新の音楽評論荷は深みが無い。良い評論は発行が古く、過去の大評論家ばかりが並ぶのはそのためで、僕の心を捉えるのは宇野功芳のみであるといえよう。
大衆に媚びず、孤高なため、著作のほとんどが現在絶版になっているのは残念至極であるといえよう。
(半分ネタでパロッてます)

クラシック音楽ファンでオリジナル宇野功芳の評論を知らなければ、訳の分からない記事になってしまったw