NHKスペシャル“冒険の共有” 栗城史多の見果てぬ夢

2019年1月28日登山

追加情報 2019年4月25日(木)00:55よりNHK総合で再放送予定です。

4年前の2015年4月25日は、M7.8を記録したネパール大地震が起きた日です。

栗城史多の見果てぬ夢。放送内容は?

2019年1月14日(月) 午後9時00分より、NHKスペシャル“冒険の共有” 栗城史多の見果てぬ夢が放送されました。

栗城事務所から未公開の映像を提供されての番組構成だそうです。

何か新しい事実確認ができるのではないか?しかし、当たり障りのない内容だったら?見るべきものがあるのか?テレビでどこまで突っ込んだ内容になるのだろうかと、期待と不安が入り混じった心境で番組を見ました。

深く検証しきれていない煮え切らなさもありましたが、視聴者に問題提起をしている構成だったと僕には感じられました。2016年アンナプルナ南壁での画像捏造疑惑など、科学的に分析して真偽をたしかめてほしかったです。素人の個人に調べる術はなく、疑惑が疑惑のまま残っているのです。

栗城事務所によると

生前何度も栗城のドキュメンタリーを制作した方が作ってくれています。

との事なので、視点を変える事は流石にできなかったのでしょう。

番組最後のナレーション

私たちは、自分自身を見失うことなく、これからの時代を生きていくことができるのだろうか

栗城さんの宣伝に加担しておきながら、責任感がないな、反省のかけらもないな、とは感じました。しかし、考え直すきっかけ、再検証するきっかけにはなったのではないかと思います。

ユーチューバーの先駆け

登山家、クライマーではないと暗に言っているのか。クライマーが映像配信しているのではなくて、あくまでも栗城さんは登山家としての実力はプロレベルではなく、ユーチューバーと同類であるという意味にも受け取れます。僕も実際そうだと思います。決して革新を起こすイノベーターではなかった。対談やインタビューでは自ら吹聴して大物のようにふるまっていましたが、やってる登山の内容そのものは大した事なかった。所謂ビッグマウスで登山の内容が伴っていなかった。話題性と人気を獲得することに囚われ過ぎていた人でした。

なぜ彼を止められなかったのか?

周囲の人が止められなければ、いずれこのような結末を迎えていた、とも受け取れます。自制ができない、セルフコントロールが栗城さんには出来ない状態だったのではないかと。早稲田大学探検部出身、登山専門誌記者の森山憲一さん言うところの「あるときから、栗城さんのなかで、どこか歯車が狂ってきていたのだと思う。」「アンコントロール状態にしか見えなかったのだ。登山に限らず、アンコントロールというのはもっとも危険な状態だ。」をNHKも認めているのか。

迷いがあったり、集中出来ない精神状態であったり、体調が悪かったり・・・ベストなパフォーマンスが発揮できないコンディションはスポーツ選手ならば不調となり、更に状態が悪くなればスランプとなります。遠征出発前のインタビュー動画での影のある覇気のない栗城さん。熱が出で咳込んでいる栗城さん。BCからの出発動画も凍傷前の昔の映像は、チャラいながらも目は光っていて元気がありました。亡くなったのも、体調を崩して下山中の出来事です。コンディションを崩しているのは、傍目にもわかることだった。

栗城さんは世界6大陸の最高峰に次々に登頂

栗城さん自身は単独無酸素と宣伝していましたが、ナレーションでは単独無酸素とは言っていません。エベレストを除いた6大陸最高峰は、そもそも酸素ボンベが必要になる高度ではありません。現地ガイドを付けないと入山できない規則がある山もあり、先行者のトレースを伝ったりフィックスロープを使っている映像が残されている遠征もあります。シェルパの痕跡のある過去の映像は、次々と削除して現在閲覧できなくなった動画も多くあります。酸素ボンベを使っている動画もありました。どこが冒険の共有なんだろう?

はっきりと「単独無酸素」は嘘だった、と言ってほしかった。

栗城さんの映像は、山を知らない多くの人の心を捉えていきます。

深読みもできるナレーションですね。映像とキャッチーなコピーでファンとスポンサー企業の心を掴んでいく栗城さん。しかし、ファンや協賛企業は山を知らないとも受け取れます。まあ、本当に知らないからスポンサーになってしまうのでしょう。

しかし、山を知らない多くの人の心を捉える手助けをしたのは、NHKを含めたメディアの罪に他なりません。登山専門誌以外は、栗城さん発の大本営発表ともいえそうな宣伝文句を、検証もせずに垂れ流していただけなのだから。

謳い文句の生中継も無くなっていき、録画配信も減り、冒険の共有のはずなのに、発信される情報や報告は年を追うごとに減っていきます。GPSを切って行動し、今どこに居るのだろう?と思っていたら、翌日に「体調が悪くBCに戻りました。」と報告があることも度々。2017年も春のエベレスト遠征でルートを3度も変更し、他の登山隊が続々と登頂する中で到達高度がどんどん下がっていき敗退しています。

登山専門誌やネット以外で、初めて栗城さんの登山が単独無酸素ではないと明言されました。

過去未公開であろう、2008年秋マナスルの通称認定ピークで栗城さんが「とても危険なので行かないほうがいいということです。」と語るシーン。マナスル認定ピークは山頂より約30m下にあり、山頂までは細く切り立ったナイフリッジとなっていて、難易度の高いルートになっています。放送後にリニューアルされた栗城史多公式サイトでは、それまで使っていた宣伝文句”日本人初のマナスル単独無酸素登頂”が削除されて無くなっています。

また、マナスル遠征では同時期に登山をしている他の遠征隊シェルパが事前に整備したノーマルルートで登り、他の登山隊の残置テントも使っています。サポートを受けているのと同じ登山内容となり、山頂に到達していないだけではなく、単独登山でもありません。

マナスルに限らず過去の栗城史多さんの登山では、シェルパに事前にルート工作をさせフィックスロープを伝ったり、酸素ボンベを使ったり、ベースキャンプの指示を仰いでいる。現地の公認シェルパを帯同しないと登山許可が下りないアフリカのキリマンジャロや、南極のヴィンソンマシフでも単独登頂を宣伝文句に使っている。と単独無酸素の看板に偽りありの登山経歴なのです。

TV東京で没後再放送された「頂の彼方に…栗城史多の挑戦」2010年のアンナプルナでは、シェルパやベースキャンプからサポートを受けている事がわかります。

2014年ブロードピーク遠征でも、C2までシェルパが帯同し、C2まで酸素ボンベを荷揚げしていたことがわかっています。

他界した2018年のエベレスト遠征も、その年からネパールでは単独でのエベレスト入山許可が下りなくなっている。テレビメディアなら、栗城隊の登山申請が実際どうなっていたか、調べる事も出来たはずですが、番組では触れられていませんでした。シェルパや撮影カメラマンも事実ベースキャンプより上に上がっているので、シェルパとカメラマンを含めた登山隊として申請したのではないかと推測しています。

アンチの存在

番組ではインターネット掲示板の”アンチ”と紹介され、アンチの言葉の印象として、叩くことが目的化し根拠なく誹謗中傷を繰り返す輩、と思われがちです。しかし、当初から栗城さんの山行報告の矛盾点や嘘、登山家としては能力や実力が低い。プロ登山家としては圧倒的にトレーニングが不足し、年に1回のエベレスト遠征以外の山行が少なすぎる、と指摘していたのがアンチの人達だった訳です。事実ヒマラヤンデータベース及び日本山岳会では、栗城さんのマナスル山行は登頂記録として認定されていません。アンチからすれば、こんな当初から分かっていた事を今頃になってかよ!と言われても仕方ないかもしれません。

山頂に辿り着けなかった事それだけを失敗として批判されているのではありません。1度途中で敗退したのなら、原因は何か思考を巡らせ、次回以降の改善に繋げる。フィジカルとタクティクス両面に於いて。それが栗城さんの登山から何も感じられなかった。

事実を隠し、嘘をつき、程度の低い事をやっているから、明らかな誤りだから批判されているのに。

タレントのなすびさんをエベレスト登頂に導いた、国際山岳ガイドの近藤謙司さんが「勉強もしないで東大を受け続けるようなもんだ。」と評していました。挑戦する前にやるべき事を充分にしていなかった人を僕は応援することなど出来ませんでした。トレーニングや準備が決定的に不足していた。

スポンサーワッペンを現地に行ってから、ベースキャンプで雑に縫い付けている映像もありました。えっ?出発前に準備していないんだ、資金提供をして貰っている企業に対する扱いがこれで良いのでしょうか?

ベースキャンプ入りする前日のペリチェから39℃の発熱を告白。BC滞在中も、順応登山中も熱や咳の症状が、SNSでの報告や映像で確認できます。体調の悪さから登頂断念するという結論は出せなかったのだろうか?今となってこんな事を言っても遅いのですが・・。

番組では、栗城さんが自分自身を見失っていった理由を

1.自身の承認欲求のせい

2.SNSやインターネット掲示板の批判

としています。これに人脈作りや異業種交流会やらセミナーが加われば意識高い系(笑)。意識高い系(笑)はSNSのフォロワーも多いがアンチも生んでしまい、批判に晒されるとディフェンス行動に走ると言われています。栗城さんも正にその通りでした。

これに加えて、登山家としての栗城さんの実力も分析して欲しかった。服部文祥さんが3.5流で登山家ではないと評し、森山憲一さんは「客観的に見れば、多くのノーマルルート登山者と同程度と思われる。」と評価した栗城さんの登山家の中での立ち位置を、テレビ番組という多くの人が目にするメディアで評価して欲しかった。ピオレドール賞受賞の登山家、花谷泰広氏の「いやどう考えてもアンタそれ無理でしょ」で、少しは伝わったのかも知れませんけれど。

花谷氏は「山を見て登るな。自分を見て登れ。」と諭したそうですが、これは好きなように気の赴くまま自分勝手に行動して良い、という意味ではありません。自分自身の実力を正確に把握し、その限界を超えなければ生きて下りてこれる、という意味だと思うのです。リスクマネジメントの”リスク”の部分が己の能力で変動します。それを自分自身を見て把握しろ、という事なのだと僕は受け止めています。

元々優れているとは言えない判断力に狂いが生じ、さらに歯車が狂いだしてしまったようにしか見えない。

花谷泰広氏は栗城さんのSNSでは「山の先輩」とされ、名前が明かされなかったどころか、費用を払ってプロの登山ガイドから教えを受けた、などとは一言も書かれていませんでした。

否定の壁への挑戦

栗城さんのキャッチフレーズで、番組でも触れられていました。ネット上のアンチの言葉は、からかい半分な部分も無きにしも非ずでした。しかし「もっとトレーニングしろ」「余裕を持ったスケジュールを組み立てて、高所順応に時間を掛けろ」「冒険の共有と言いながら、毎年毎年動画も報告も少なくなってきている」「山行報告は正確に。行動中はSPOT(GPS)を切るな」「実力に見合ったルートで計画を立てろ」「咳が出て熱もあるんだから無理するな。アタックは止めた方がいいんじゃないか」と、正論と言える内容も多くありました。

栗城さんが亡くなって「叩けない寂しさを知った。」とか、一部の書き込みだけをピックアップして伝えるのはどうかと思う。番組で紹介された2ちゃんねる(現5ちゃんねる)を僕もリアルタイムで見ていました。

382 名前:底名無し沼さん (オッペケ Sr29-08oj [126.234.122.246])[sage] 投稿日:2018/05/21(月) 12:21:40.52 ID:hSro2b1Mr [2/7]
栗城死んだって!
ネタじゃない

Japanese alpinist Kuriki dies while descending from Camp III to Camp II

KATHMANDU: Japanese climber Nobukazu Kuriki, 36, died while descending to lower camps on Mt Everest last night, rescuers revealed. According to Climbing Guide Ashish Gurung, rescuers retrieved Kuriki’s body from 7,200 m near Camp II. Kuriki had gone missing since 11:30 pm after he sent a radio message to his climbing guides at Camp II from Camp III for help, Gurung said.

ネパール現地のメディア・ヒマラヤンタイムズ、栗城さん他界の第1報が該当スレッドで紹介されたのが、2018年5月21日12時21分(日本時間)。南西壁下部7,400mのテントから体調が悪く下山すると、栗城さんのLineBlogで発表があってから、他界の第1報まで2時間少々のこと。「嘘だろ」と思った。下山の報告から僅か2時間の間に他界のニュースが報じられるなんて。複雑な感情が芽生えたのを今でも思い出します。後から判ったことですが、前夜から体調を崩し夜間の下山を開始する、と無線で連絡をしていたようです。番組内でも、前夜からの下山は放送されました。SNSでの報告が無かったので、判らなかっただけでした。

それにしても単独登山だったはずなのに、すぐに救助に向かえる場所(C2)にシェルパがいたとは・・・ベースキャンプを発つ際の軽装も納得・・・

また、2017年のエベレスト遠征も春だったので、リアルタイムで見ている間にICI隊、AG隊、倉岡隊、平岡隊の日本隊登頂ニュースが次々に飛び込んできます。2ちゃんねるでは他の日本隊へは「登頂おめでとう!」の称賛の声しかありませんでした。

ネット上での批判=誹謗中傷や個人攻撃の一方的な悪口、と捉えられがちです。しかし、批判の言葉の意味は本来、物事に検討を加えて、判定及び評価すること。誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。欠点や過失をあげつらう倫理観を欠いた感情的な誹謗中傷とは異なります。

応援し合える社会というのを栗城さんは目指していたようです。何でもかんでも👍いいね👍しないといけない社会を目指していたのでしょうか。目標や夢を持つのは良い事だけれど、努力して成長しようよ、という事が罪なのでしょうか?僕はそうは思いません。インターネットの世界に限らず、日常でも悪い事は叱る「こうした方がいいよ」「それは間違っているんじゃないかな」と言うと、過剰な拒絶反応を示す人が、栗城さんに限らず増えているような気がするのは僕だけでしょうか。

2016年なすびさんがエベレストに登頂、2ちゃんねる栗城スレッドは「おめでとう!」称賛の声で溢れました。

一方、栗城さんは自身のSNSで

なすびさん登頂しましたね!でも、なすびさんのエベレストと僕のエベレストとはまた別物ですよ。

言動不一致とはこのような事を言うのでしょう。応援し合っていないし、祝福もできないのでしょうか?指摘を受けてその後、該当投稿は削除。近藤ガイド宛に「おめでとうございます、なすびさんも」と何事もなかったように訂正しています。

臭い物に蓋。都合の悪いことは隠し、その場しのぎのために無かったことにする。馴れ合いで褒め合っても、表面上は悪い気分にはならないでしょう。そんなうわべだけのお世辞や社交辞令は、わざわざ目指すほどの事なのでしょうか。

栗城さんの行動ははこの繰り返しでしかなかった。

山野井泰史

スポンサーをつけないのも、条件が悪ければ、引き返せる状態に常に身を置いていたいからです。登山そのものも、費用をかけなければかけないほど、質の高い登攀ができるんです。

人それぞれ考え方は違う、で片付けてはいけない。栗城史多さんが亡くなった要因を登山そのもの以外だとするのならば、どこで判断を誤ってしまったのか、スポンサーや賛同者を募る承認欲求との関連性を深く検証すべきはずです。「下山家」と揶揄されるほど去年までは一応下山の判断ができていた。何故今回の遠征では出来なかったのか?応援し合える世の中の実現を目指していた栗城さん。いつしか目的と手段をはき違えてしまったのか。それとも登山を始めたときからだったのか?

遠征費用を募る為にスポンサーを付けること自体が悪いわけではない。

山野井さんの言葉を借りるなら、スポンサーを付け、費用を掛けてきた栗城さんの登山は、年々質が低くなっていた。登山内容も情報発信も。今回もエベレスト南西壁核心部に辿り着く前に・・・難関ルートだったから亡くなった訳ではない。

集中して山と向き合うことなく、真摯に自分を見つめ直すこともない。「どう見られているか」を目的としてしまった。登山家を演じる3.5流の役者が、2流3流に成長することなく、3.5流のままその生涯を閉じてしまった。

栗城史多さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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