NHKスペシャル“冒険の共有”栗城史多の見果てぬ夢 再放送
ネパール大震災と栗城史多
4年前の今日、2015年4月25日ネパール大地震に見舞われた日である。この日の再放送とは何かの因縁なのか、それとも偶然なのだろうか。
改めて、被災されたネパールの方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます。
栗城史多さんは生前、ネパール復興支援のため「ふんばろうネパール」を立ち上げ、支援を行っていました。
YouMe Nepalの学校建設事業に協力するかたちで「ふんばろうネパール」を立ち上げ寄付を募り、現地に学校を2校建設しています。
野口健さんもネパールで植林を行っています。
このように素晴らしい活動を行っていたことを初めに申し添えておきたい。
初回放送の感想を書いた記事
感想は今でも変わらない。拙い文章かも知れませんが。
栗城さんを支援者の追悼で「無酸素単独」の嘘を未だに鵜呑みにし、
栗城君が今回エベレストに行くにあたって、今回こそは成功すると僕も確信していました。なぜならいままでは栗城君がエベレストに挑戦したのは天候が非常に荒れる秋だったからであり、春は比較的天候は穏やかでこれは成功の可能性が非常に高かったからです。
なんて書いている支援者への疑念はいまだに晴れない。
感覚や感情で簡単に結論を出してしまい、時間を掛けて深く考察したりしない人が増えているように感じる。判断基準が気分だけ。
過去の遠征で登頂出来なかったのは、季節や天候が理由ではない。2017年も春の遠征でチベット側、ネパール側の双方で、他の登山隊が続々と登頂を果たしている中で、あっけなく諦めて敗退している。
当初はローツェ~エベレスト連続登頂の無理な計画を発表していたのにも関わらずです。
当たり障りのない追悼も必要かもしれません。しかし、人が亡くなっている訳で・・・
どうしたら助かったのか、亡くならずに済んだのか、亡くなった栗城さんが戻ってくる事はないけれど、今後このような事が起こらない様、反省と分析は必要だと思うのです。
夢や希望や勇気。それはそれで理解できますが、現実を見て、生きて帰って来るためにどうすれば良かったのか。今後このようなことが起きないように、反省や改善を考察することは必要な事だと思うのです。
登山は最終的には自己判断の自己責任です。スポンサー企業や賛同者に責任を擦り付けるつもりはありません。
死なないようにブレーキをかけろ、とアドバイスしていたのはアンチだったのではないか。
NGTがその隠蔽体質と事なかれ主義を世間に露呈し、反感を買っている。株式会社たお代表栗城史多も、NGTと似たり寄ったりだった。隠蔽体質によって倫理観やモラルが欠けているのは栗城さんも同様だった。
Youtubeで早食い動画を配信中に亡くなった人もいた。
自身の能力を把握しないまま、トレーニングや練習をしないままに、いきなり難度の高いものに挑戦してしまう。自分と他人の能力差を正しく認識できない人が多いと感じる。登山も世間一般には認知度が足りず、そのスキルの差を認識しにくいジャンルだと思う。装飾や脚色で共感を得ることを目的にすることも可能かもしれない。やる気や想いだけでは出来ない事もある。
登山家としての実力と情報発信能力は別物だ。SNSのフォロワー数が評価対象だったり、講演会で何百人集めた、なんて事も登山家の実力とは無関係な話だ。栗城さんはインフルエンサーマーケティングに長けた講演家だったのだと思う。
否定の壁をなくす=批判は悪と単純に断定してしまったり、疑いを持たずに素直に信じて猛進しろ、とかインフルエンサーは教祖様なのだろうか?情報があふれ自分自身で処理や選択が出来なくなった人が増えてしまうと、このような人達が生まれてきてしまうのかもしれない。
今後写真集の発売や、追悼ギャラリーの開催が予定されています。事務所から嘘偽りのない報告書なんて望めそうにありません。
さまざまなバイアス
バイアス(bias)とは偏りと言う意味。偏り、偏見、偏向、かさ上げ。主に学問的な分野で使われる。
認知バイアス
心理学の用語で、人間の判断、認知、意思決定などにしばしば紛れ込む恣意的な傾向を意味する。
恣意性:その時の思い付きや、自分勝手な行動や考え方。バイアスにも自分の勝手な思い込みという意味があるため、その点では恣意性と類似した言葉でもある。
都合の悪い不快な事実は認めたくない。好ましくない精神的苦痛を伴う事実を受け入れられない。都合の良い事実しか見ない。
感情バイアス
感情や感覚に拠る認知と意思決定の歪み。相反する事実があっても、人間は自己に心地よい感覚をもたらす肯定的な感情を優先する。
生存バイアス
その過程に於いて、脱落者や淘汰された者を評価考慮することなく、生き残った者のみを評価する。生存した物のみを基準とすること、で誤った判断を行ってしまうことである。
栗城さんは亡くなってしまいましたが、生前は発信していた情報に、この生存バイアスがあったと思う。
内集団バイアス
自己が帰属している集団には好意的な態度をとり、外の集団には差別的な態度をとる心理。身内贔屓。外部に敵を作る事で、内集団の結束を高める事にも利用される。
セルフブランディングやマーケティングは人の心理に関わる事。こんなことも考えてしまう。
追記:嘘や誇大広告、自分を大きく見せることへのリスクについて
僕も全く同感です。勇気ややりがいを貰えれば、嘘に騙されたまま、嘘を見抜けないままで良いのだろうか。批判は悪だと決めつけてしまって良いのだろうか、と思ってしまいます。
追記:このブログを解説して1年が経過しました。
ある著名ブロガーの言われるままに、会社を辞め、情報商材を買い、アフィリエイトブログ、twitter、Youtubeで活動していた方が、アカウントやサイトを閉鎖してインターネット上から姿を消しました。再就職している事を願っています。
栗城さんの商売のやり方、稼ぎ方は常々胡散臭いと感じていました。自己啓発や情報商材、サロン系の業界を垣間見るようになり、栗城さんはこの業界の氷山の一角に過ぎなかったことを思い知らされました。
栗城さんが理想としていた応援し合える社会。「褒め合い」「認め合い」「批判の無い」社会。慰め合い認め合う事を否定する訳ではない。誰だって認められたり、褒められたら嬉しい。しかし同調同意だけでは融和は生まれても、そこに進歩や成長は無いだろう。修行僧はひとりになって山籠もりする事もあるのだ。
このコラムも読み応えがあったので紹介しておきます。
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