江戸和竿職人歴史と技を語る
江戸和竿の開祖東作
創業1788年(天明8年)、江戸和竿総本家東作の6代目松本三郎さん。かくまつとむさんがインタビュー形式で書籍化。
江戸和竿専門店 いなり町 東作本店
東京都台東区東上野3-32-13
最寄り駅は地下鉄銀座線稲荷町駅から徒歩1分。又は都営大江戸線新御徒町駅より徒歩5分。都心から交通の便が良い幹線道路沿いに、歴史と伝統を誇る東作のお店があります。
一歩店内に入ると、そこは和竿の伝統工芸ワールド。
まるで江戸時代にタイムスリップしたようです。
国と東京都両方から伝統工芸品に指定されている江戸和竿。
江戸和竿には”系図”があり、江戸で作られたからと言って、江戸和竿を名乗れる訳ではありません。
職人の徒弟制度に従い、系図に載っている先輩竿師=親方に弟子入りして、晴れて独立を認められた者のみが江戸和竿師を名乗ることができます。
6代目東作松本三郎名人の回想
弟子の最も多かった4代目の時代。3升釜でご飯を炊き、荷車いっぱいの野菜を漬物に。
よその子も職人として家にいるなら息子と同じ、と働きずくめのおかみさん。
尋常小学校卒業後に弟子入りをした三郎さんは朝、先輩弟子を起こし、仕事場と店の掃除をすることから職人としての生活が始まります。
釣りの話は少なく、伝統工芸の専門的な分野も平易に書かれており、釣りをしない人でも伝統工芸や文化、大正から昭和初期の生活を偲びながら、楽しみながら読める本となっています。
手拭き 竿師独特の手法で、かぶれる漆を手で薄く延ばしながら塗る技法。塗りの深みと透明感を出すために、和竿は多くて7~8回漆の重ね塗りをする。
竹、布袋竹や矢竹を主材料に全てを手作業で、継ぎ竿にし漆塗りで仕上げる江戸和竿。
使ってナンボの釣り道具に過ぎない釣り竿が、粋を好む江戸の文化と融合し、継ぎの精度や漆塗りの美しさは目を見張るばかり。
伝統工芸にも昇華していきます。
竹 節ありて 強し 六代目 東作
あとがきより抜粋
亮平の手を取りながら教えていると、昔のできごとが次々に思い浮かんできます。親父やお袋、兄貴の事、兄弟弟子やお得意様。戦争時代。女房と結婚した頃。家の倒産と一からの出直し・・・。
世間の偉い人から見たら平凡な人生かもしれませんが、自分では、節目が詰んだ竹のような、それなりに充実した人生だったという思いはあります。
その歴史をかくまつとむさんがインタビュー形式で書籍化。
6代目松本三郎さんは、最後の弟子となる東亮(6代目東作の甥。東作本店店主の息子で5代目東作の孫に当たる)にその技を受け継ぎ、2015年に95歳で永眠。
江戸時代から脈々と受け継がれる伝統工芸の歴史が刻まれた書。
東作のその後
1920年生まれの6代目東作は、80歳のときに本書を”和竿職人の遺言のつもりで”残します。
その後、最後の弟子となる東亮(6代目東作の甥。東作本店店主の息子で5代目東作の孫にあたる)にその技を受け継ぎ、2015年に95歳で永眠。
江戸和竿総本家東作の血筋が、絶える事無く引き継がれました。
僕には芸術品のような6代目東作の和竿は不釣り合いだし、とても高くて買えませんでした。東作の系譜にあたる4代目東作のお弟子さん作の竿や、東亮作の竿のことなども、これから書いていこうかと思います。
6代目と共に最高級角印東作竿を誂えていた、東水さんの竿は今では希少品になりそう。いずれ画像でアップする予定です。僕の手持ちの東水竿は既製品です。
店主である父の目利きに合格して、息子東亮が「8代目東作」を襲名できるよう願っております。
それまでの間は、東作本店店主松本耕平さんが7代目東作を襲名
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