高野秀行「アヘン王国潜入記」

2019年2月5日

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

テレビ番組「クレイジージャーニー」に出演され、番組でも特集された高野秀行著アヘン王国潜入記。

僕が著者の事を何も知らないまま、書店で偶然目を引いたタイトルに釣られて初めて読んた高野本です。その後は「辺境中毒!」ならぬ高野中毒になり、氏の著書を次々に読むようになってしまいます。

書棚に並ぶタイトルに目を引かれ、本を手に取ってみる。表紙は満開のケシ畑で笑顔で銃を担ぐ3人の若い兵士たち。初版は1998年、取材は1995年10月から翌1996年5月にかけて、ケシの種まきからアヘン生産までの期間における、高野秀行初期の渾身のルポルタージュ。

ミャンマー(高野はビルマと表記)北部、反政府ゲリラの支配区・ワ州。アヘンを持つ者が力を握る無法地帯ともいわれるその地に単身7カ月、播種から収穫までケシ栽培に従事した著者が見た麻薬生産。それは農業なのか犯罪なのか。小さな村の暖かい人間模様、経済、教育。実際のアヘン中毒とはどういうことか。「そこまでやるか」と常に読者を驚かせてきた高野秀行伝説のルポルタージュ、待望の文庫化。

人種も文化もワ州はミャンマーに属していない。

多民族が複雑に絡み合い、国境を接し、その国境もこの地域の住民とは別の国や人が、後になって勝手に引いた線であるとも言える、ワ州の首都パンサンに入った著者の最初の街の印象は、単なる中国の田舎町。流通する通貨は人民元。商店の看板は中国語で、売られている商品も粗雑な中国製品。中国語の雲南方言が飛び交い、料理も雲南地方のもの。イギリス植民地時代も中央政府の統治が及ばずに、有史以来”いかなる国家の管轄下にもなったことがない”ワ州に世界で初めて長期滞在した著者が見たものは・・・

高野の早稲田大学探検部時代の遠征をまとめた処女作「幻獣ムベンベを追え」から脈々と続く氏の取材のポリシー、現地語を覚えガイドを使わずに直接コミュニケーションを取る。現地の人達と同じ生活をして、同じものを食べる。このゴールデントライアングルでも自然体で実行しているところが凄い!

そもそも取材地であるワ州への入国も、タイやミャンマー経由で行けない反政府勢力支配地域。現地入りからして奇想天外のストーリーに引き込まれてしまいます。

ケシ栽培が盛んで、伝統文化が色濃く残る辺鄙な村・・・ムイレ村を居住地に選び、村人のワ族と共に生活し、共にケシ栽培を始めます。反政府ゲリラ支配地域なので男性は少年も含めて基本的に兵士。畑仕事は女性が携わる中、高野氏の取材哲学でもある、”現地の人と共に生活し同じものを食べ”ながら、ストーリーは進みます。

ゴールデントライアングル

黄金の三角地帯:タイ、ミャンマー、ラオスの国境にまたがる東南アジアの山岳地帯で、世界最大の麻薬密造地域であった(現在は過去形)。
地理的には中国雲南省とも国境を接しており、人も物資も中国と往来があり、文化的にも影響を受けている。
ゴールデントライアングル核心部とも言えるワ州に、高野氏が1992年6月からタイ・チェンマイ大学に日本語講師として赴任中に、反政府ゲリラと偶然にも知り合い、築き上げたワ州への入国ルートも中国雲南孟阿から。

ゴールデントライアングルで密造される麻薬は、気候的に栽培に適しているケシ。ケシを精製したアヘン。アヘン系麻薬の60~70%がゴールデントライアングルで作られ、世界中に流通していたと言われています。タイとラオスは元々生産量も多くはなく、政府の規制で1980年代から激減、事実上全生産量の90%以上がミャンマーのゴールデントライアングルに属するシャン州を中心とする地域からである。

現地ゲリラと共にゴールデントライアングルに潜入。
アヘンの種蒔きから収穫まで、現地の農民と共に生活し記した迫真のルポルタージュ。
2番煎じは今後もあり得ないであろう、唯一無二のルポルタージュ。
中国国境に近いその地は、生活も文化も中国の影響を受けている。日本という島国からは想像できない少数民族の歴史から、ケシの栽培に適した地域だからが魔の三角地帯が生まれた理由でなかった事を知った。
TV番組クレイジージャーニーに著者高野秀行が出演。本書が取り上げられました。

ケシ栽培とアヘンの歴史

ケシ栽培の代名詞となっているゴールデントライアングルではあるが、ケシの原産地でもなく、栽培が始まったのもアヘン戦争(1840~42)後のことであり、その歴史は浅い。ケシは野生種が発見されない栽培種であり、原産地は地中海沿岸との学説が有力であるが、現在でも諸説あり不明である。

人類とケシの関わりは古く、新石器時代の遺跡からケシの種が発見されている。
また、ネアンデルタール人の遺跡から麻黄科の植物が発見さてれいる。
但し当時ケシからアヘンを抽出していた証拠はない。
紀元前1500年代エジプトのパルピスに記録が残されたものが、最も古いアヘンの文献とされている。
頭痛薬、鎮痛剤の効能がある医薬品として用いられていた。

紀元後5世紀ごろイスラム交易網やシルクロードを伝って、インド、中国、アフリカ等にアヘンは広まっていく。そして15世紀からの大航海時代には、重要な交易商品となっていく。
アヘンが麻薬として使われるのも、この頃からと言われている。

医薬品として人類と関わっていたアヘン。
本書には記されてはいないが、音楽の歴史上でもカストラートの去勢手術のための鎮痛薬として、その記録が残されている。
17~19世紀にかけてのイタリアを中心とした教会音楽やバロックオペラ全盛期の時代に、声変わりを止め高い声を維持するために6~8歳ごろに去勢手術をし、専門の音楽学校でカストラート歌手として教育を受けた男性歌手がいた。
カストラート人気の全盛期には、毎年4,000人以上の男児が去勢された記録が残っている。未熟な医学と、女性が教会で声を出してはいけないという当時のキリスト教の教義、人間の美への欲望が生んでしまった歴史上に残る芸術のあだ花である。

いや、17~18世紀前半のオペラを芸術と言っていいものなのか。芸術性を高めることよりも、エンタテイメント性を何よりも重視。
当時の劇場は現代のバーやカジノやクラブを全てごちゃまぜにしたような、娯楽の少ない当時の社交場であり、乱痴気騒ぎやら逢引きのための総合エンタテイメント施設であり、風俗産業とも言える施設であった。
オペラは決して高貴な芸術ではなく、使い捨てのテレビドラマ程度であった。その使い捨てテレビドラマの盛り上げ役としてカストラートが消費されていく。

麻薬と同じく、人間の欲望のひずみと言えると思う。

善悪の彼岸、国際社会の死角ワ州

ケシ栽培は隔絶された辺鄙なワ州ムイレ村で、貧しい農村の僅かながらに収入を得る手段としての農業でしかない現実。

高野は、ワ州の人々の土地に根ずく倫理観や行動規範は、私たちのそれと意外なほど違いがなかったと結んでいる。文明度は低いが文化度は決して低くはなく、昔の日本人はこうだったのだろうな、とも言っている。

入国から、ケシ畑に種をまき、雑草取りをし、開花を見守り収穫、アヘンの製造、体調の悪化から偶然にも?現地では万能薬としか認識されていないアヘンの吸引で中毒症状が起こるまで、ムイレ村の日常と生活と共に綴っていく。

入国も出国も正規ルートでは訪れることも不可能なワ州。翌1997年、テレビ制作会社のクルー同伴で、再度ワ州に訪れようとする著者だが、国境警備が厳しくなっており、現地入りの協力者であったワ州連合軍のゲリラの情勢も変わっていた。1998年最大の協力者であったワ州連合軍の重鎮が暗殺された。

外国人がワ州を訪れる事自体が不可能になり、世界的な麻薬撲滅運動からゴールデントライアングルに於けるケシ栽培も消滅する。

今後このようなドキュメンタリーが、彼の地から生まれてくることはないだろう。追体験の出来ない特別な内容の本だと思う。高野秀行の行動力に脱帽です。

ゴールデントライアングルで激減したアヘンの生産はパキスタンに移る。パキスタンは世界の麻薬工場と呼ばれるまでになっています。

パキスタンの麻薬事情(取材期間は2010年12月~2011年2月)取材:桜木武史

2020年4月追加

「ママ、私は売られた」 女性が少ない中国へ、国際人身売買の闇

現在でのミャンマー・ワ州での国際人身売買の現状。

高野秀行が取材をした当時から、中国との国境があいまいな事は何も変わっていない。