
音楽家とリスナーの狭間でエンジニアは音楽の感動を伝える為に、どのような考えを持ち、どのような仕事をしているのか。
デジタルの時代に数字や技術と芸術や感性の狭間に必要な事とは何か。「音楽を届ける」とはどのような事なのか。
この本は、技術書ではない。だが、技術の話を避けては通れない。
『良い音の秘密』はじめに、より
音楽論でもない。だが、音楽への愛なしには1行も書けなかった。
そして何より、これはエンジニアを主役に仕立てるための本ではない。
~中略~
この本を読み終えたとき、読者が音楽を少しだけ違った耳で聴けるようになっていたら、あるいはオーディオの前に座る時間が少しだけ深くなっていたら、これほど嬉しいことはない。
録音エンジニアの証言で紐解く、音楽を伝える技術
サブタイトルに「技術」とあるが、エンジニアに向けた技術指南書ではない。音楽を伝える感性や柱となる考え方、エンジニアとしてのあるべきスタンス、音楽の聴き手の受け止め方や再生装置の多様化を念頭に、聴き手が音楽をどのように捉え何処に感動するかを分析。
音楽ファンやオーディオマニアが置き去りにされていない。
パソコンのDAW画面上で音楽が完結すること無く、特性至上主義や編集至上主義にも陥っていない。
音楽はミキシングコンソール卓上で、パソコンの画面上で扱う単なるデータではない。
CDよりもレコードの音が良いとする聴き手が居るのは何故?についても録音エンジニアの目線と経験を踏まえつつ聴き手の立場に立って分析されている。
聴き手の心を動かす、感動する音楽を記録し伝える為に録音メディアはどうあるべきか。エンジニアの証言から紐解き考察している良書。
音楽ファンやオーディオマニアにこそお勧めできる本。
第4章『ホール録音の哲学』
DECCAツリーについても詳しく触れられている。
そしてDECCAツリーと深田ツリーの違いについても、マイクセッティングの技術的な違いに留まらずリスナーに聴こえる音質や音場の違いについても詳しく解説されている。
個人的に英DECCAの録音はDECCAツリーや使用マイクだけで語ることは出来ず、レコーディングに使った当時のヴィクトリアホールなど、ホールの音響とカッティングマシン込みのトータルで管理された音。DECCAツリーを音響的に良いと思われる位置に配置しただけではデッカのサウンドは生まれない。ホールの選択からデッカサウンドは始まっている。
予算が潤沢だった当時はレコーディングに使用するホールの音に納得せず、オーケストラごと飛行機移動すらしていた。
DECCAは1971~73年にかけて100人近いオーケストラをイリノイ大学コラナートセンターに飛行機移動&宿泊という多大なコストを厭わずに録音をしていた。
残響が豊か過ぎて無観客での録音に向かないとされていたシカゴ・メディナ・テンプル。手慣れたホールならば解像度と音場感の絶妙なバランスを誇るデッカツリーに、時には補助マイクを追加したりとDECCAも試行錯誤を続けていた。このアルバムの収録1974年はケネス・ウィルキンソンがエンジニアとして名を連ねる。
ショルティ&シカゴの好演奏をウィルキンソンが苦労の末にまとめ上げた。DECCA録音の王道から外れているかもしれないが優秀録音CDなのは間違いのないところ。
この年代の頃までのDECCA録音はアナログレコードで本来は評価したいところ。人気盤なのでUK盤A面マトリックスZAL-13275-7W(春の祭典)しか手に入れられていない。
ちなみに3本1セットのデッカツリー・マイクセットは、エコーやリヴァーブ等の編集処理を加えないミキシングなので、位相が揃ったままマスターテープに収録する広義のワンポイント録音。マルチマイクとは言いません。
第5章『アナログとデジタル』
単なるスペックの優劣で音の良し悪しが決まる訳ではない。
アナログレコードのカッティングの加減の難しさや機材について。デジタルとは異なる職人技。オリジナル盤と再販盤やリマスター盤の音質の違いについても書かれている。
DAWの長所と危惧すべき点
音響的な特性だけでなく、聴き手が音楽をどのように捉えるかを考える。高スペックが必ずしも良い音楽良い再生音に直結する訳ではない。
本書とは別のインタビュー記事で「ボーカルは今でもアナログで録りたい」と言ったエンジニアが居る。コストやマスタリングの関係でそれも難しい時代になってしまったが・・・。
その意味も本書を読めば、より深く理解することができた。
第7章『空間を録音する』
立体音響の話を始めるとき、しばし陥りがちなのは、従来の2chステレオを古い物として片付けてしまうことだ。ステレオは2本のスピーカーだけで、豊かな世界を作り上げてきた極めて優れた形式である。
『良い音の秘密』渋谷ゆう子著第7章
左右の広がり、音像定位、前後感の錯覚、残響に依る奥行き・・・
優れた録音と優れた再生が揃えば、そこには充分に感動的な音楽空間が生まれる。
ステレオ録音初期から登場したDECCAツリー。DECCAツリーとは異なるが3本の無指向性マイクを使って収録したマーキュリー・リヴィングプレゼンスもステレオ録音明瞭期から。1950年代末期からのORTF方式やA-B方式、NOS方式、XY方式など位相差と音量差を利用したペアマイク方式は1970年代には完成の域を迎えていた。
これらの録音は全て平面的ではなく3次元に立体的な音場を捕えている優秀録音である。
ポピュラー曲では「現代のポップス録音には”立体”という意味での音場は存在しない」ともこの章では語られている。
良い悪いや優劣ではなく聴き方を含めた音楽の特性や存在意義と、マルチマイクマルチトラック録音のマスタリング工程まで含めた特性によって・・・。
アコースティック楽器中心のレーベルではキース.O.ジョンソン博士が主幹するリファレンス・レコーディングスなど、極々一部の優れたエンジニアの手に依るマルチマイクマルチトラックでも3次元音場を実現する録音は存在している。
音場の高さ奥行きも明瞭。
リファレンスレコーディングス&スペクトラルオーディオのキース.O.ジョンソン博士の手による優秀録音CD。
シンセや電子楽器でも3次元音場を実現した数少ない例はピンク・フロイド『Dark Side of the Moon』
全世界で5,000万枚以上も売れたアルバムでマスターはアナログ。USキャピタル盤CDだけでも再販に次ぐ再販が繰り返されプレス工場が異なったりする。
国内盤やミックス違い盤との音質比較は出来ないが、レコーディング・エンジニアのアラン・パーソンズが半年もの期間を掛けて編集した、1973年当時のマスタリング技術最高峰のひとつが聴ける。ジャケットに記載は無いがAAD。
デジタル編集全盛の現代でも、十二分に通用する優秀録音。幾重にも重ねられた効果音が注目されがちだが、音場の高さや前後感の奥行きも表現されている。
正に狂気!
そしてこの章では、音楽の感動は単なる周波数特性や歪率など特性に留まらない理由、「空間を録る」意味がエンジニアの立場から書かれている。
5.1chやDolby atomsなどマルチチャンネルだけが立体音響ではない、とも。
まとめ
ケネス・ウィルキンソンを中心にした英デッカ。マーキュリー・リヴィングプレゼンスのウィルマー・コザート。リファレンス・レコーディングスのキース.O.ジョンソン博士・・・。
優秀録音はDAWソフトに何を使うか、プラグインは、設定は、と言った小手先の技術論ではなく、結局はエンジニアがどれだけ音楽を深く理解しているかに尽きる。
録音技術はあくまでも手段のひとつに過ぎない。
繰り返しになりますが、本書は音楽の聴き手やオーディオファンこそに勧められる一種の音楽書でありオーディオ再生の手引書になり得る本です。

蛇足ですが創造の館やらFrieve-Aやらが如何に薄っぺらいか分かるかもしれませんね。






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