漫画家矢口高雄さん死去
2020年11月20日
釣りキチ三平で知られている漫画家、矢口高雄先生が惜しまれながらも他界。
享年81歳。5月から膵臓癌で闘病中のことでした。
矢口の次女 かおるです。
— 矢口高雄 (@yaguchi_takao) November 25, 2020
父・矢口高雄は11/20に家族が見守るなか、眠るように息を引き取りました。今年5月に膵臓がんが見つかり、約半年病気と闘っていました。すごく辛くて苦しかったはずだけど、涙も見せず頑張りました。最後まで格好良い自慢の父でした。パパ、ありがとう。そして、お疲れ様。 pic.twitter.com/mcjw1eOuye
心よりご冥福をお祈りいたします。
釣りキチ三平
小学生のとき、週刊少年マガジン連載中から愛読していました。
従兄弟とクラスメイトに釣り好き、自然の中で遊ぶことが好きな友達がいたこともあって、釣りキチ三平の影響と重なり、小学校から釣りを趣味にしていました。
中学校では部活動に勤しみ、高校からは部活とスポーツバイク、最初はロードバイクからスタートした訳ではなくてランドナーでツーリングから始まっています。釣りに行く日は少なくなりましたが、今でも続いている趣味のひとつです。
今でこそ住宅がびっしり立ち並ぶ都心のベッドタウンですが、幼少の頃の当時に住んでいた地域は住宅地として造成がはじまったばかり。
田んぼでおたまじゃくしを取ったり、池や用水路でタナゴやクチボソ、フナを釣ったり取ったりが日常。
小高い丘や林を切り崩したり田んぼや沼の埋め立てが、そこかしこで行われていました。小学校の帰り道に、そんな宅地造成の光景を眺めながら帰路に就くのも楽しみでした。
寄り道をしながら興味深く仕事ぶりを眺めている小学生を見て、大工さんや土木作業の大人たちに話しかけられて可愛がってもらったり。
そんな話から「〇日にあそこの池の水を抜くぞ」という情報を仕入れ、当日に見学に行くと水を抜かれた池の底にはクチボソやタナゴ、メダカなどの小魚だけではなく、コイ、フナ、ナマズがびっしり!
丘陵地帯ではコンクリートで固める前の造成中の崖で遊んでもいました。
今では良い思い出です。
海や遠方への釣りは親に連れて行ってもらったりしていました。
矢口高雄先生が育った秋田県のように、鮎やヤマメなどの高尚?な淡水魚はいませんでしたが、それなりに豊かな自然の中で育ち好奇心が育まれたのかな、と今では感じています。
今では少なくなったタナゴも、当時は小学生にも簡単に釣れるほど当たり前のようにいたんです。
僕の年代では釣りキチ三平から釣りに興味を持った、ルアー釣りを始めた人は多いと思う。
小学生の頃に釣りに行っていた池の現在の姿。
当時は水が透き通るように透明で、泳いでいるタナゴやクチボソの群れ、水草がはっきり見えていました。
奥手に映っている住宅街やマンション街は全て田んぼでした。
釣りキチ三平の釣れづれの記
矢口高雄先生の半生を綴った自伝的エッセイ。
郷里秋田県の自然の中で生まれ育ち、釣りキチ三平が生まれたのも必然なのでしょう。
よく言われるのが、鮎とヤマメ、イワナの生息域の違いが画の1コマを見ただけで判る。
実際に釣りをしていればこそです。
カナダのキングサーモンやハワイのブルーマーリンも実際に取材に赴き、週刊少年マガジン連載中はその取材の模様がカラーページで紹介されていました。
釧路湿原のイトウ釣りの取材はNHKで放送されていました。
11月25日昼ごろ、Twitterで矢口高雄先生が亡くなった事を知り、頭に浮かんだのがこのシーン。
釣りキチ三平の最終回、三平の祖父一平じいさんが亡くなったシーン。
映っている和竿は一平竿ではありません。東作6代目最後の弟子、東亮作の小鮒竿です。
自然の中で遊ぶ
子どもたちが、いや大人にとっても自然の中で遊ぶことが身近ではなくなってしまっています。
好奇心や想像力を育むためにも、矢口高雄先生の作品は不滅であると言っておきたい。
2022年11月追加情報
明治大学米沢嘉博記念図書館にて2022年10月14日(金)~2023年2月13日の期間、矢口高雄展が開催されています。
東京都千代田区神田猿楽町1-7-1(最寄り駅はJR御茶ノ水駅)
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません