坂本眞一「孤高の人」
加藤文太郎と新田次郎の小説孤高の人
この漫画は新田次郎の小説「孤高の人」を原案としている。原作ではないところがミソというかポイント。小説や実在の人物、加藤文太郎を忠実になぞったドキュメンタリーではない。坂本眞一が新たに生んだ漫画である。
小説や史実を原作にした映画やテレビなどの映像作品では、「原作とイメージが違う」と違和感を覚える事もあるかもしれない。映像は特に視聴者に意図的に印象付ける脚色が多いから。漫画孤高の人に原作とイメージが異なる違和感を感じるか、坂本眞一が再構築した別の新たな作品と位置づけられるかで評価が分かれると思う。
そもそも時代背景も現代に置き換えられている。この作品はドキュメンタリーやノンフィクションではない。間違い捜しに終始すると、この作品を通して作者が訴えたいことが伝わってこなくなってしまう。
4巻までクレジットされていた原作者もいなくなり、作風も大きく変わっていく。
心理描写や回想でシーンが飛び飛びにもなる。雪崩をビルの崩壊や落下するトラックで描いたり。K2東壁で登場する原渓人って誰だっけ?と1巻から読み返した。2巻の高校時代、クライミングコンペの章に登場していた。
「君に命を預けた覚えはない。君も1人で登りたいなら、他人の命に干渉するな。1人で登り、1人で死ぬ。それがソロクライマーだ。
坂本眞一「孤高の人」2巻原渓人のセリフより
小松副隊長のような上司がいるかもしれない。14マウンテン山岳会メンバーのような同僚がいるかもしれない。作者坂本眞一は、今を生きる読者に対して、生き方とは何か、社会とは何か、人と人の関わり合いとは何か、死とは何か、を問いかける。これは漫画の枠を超えた歴史に残る純文学作品だと思う。
飼い主に尻尾の一つも振れねぇ犬は、ご褒美にもありつけねえ・・・
山も会社も同じだな・・・
孤高の人5巻より
この漫画を読むときは、加藤文太郎のことも新田次郎のことも忘れた方がいい。
実在した加藤文太郎は、登山では孤高を追い求めた人ですが、山を下りれば仕事の上でも社会性や協調性のある人だったそうです。完結となる17巻のエンディングも、実在した加藤文太郎の史実とは異なっている。
違っていてもいいのだ。この作品はノンフィクションではないのだから。
漫画でも文学作品でも「読む」という行為には、多くの示唆が含まれている。読後にどのような感想を持つかは人それぞれ。しかし、作者は何を訴えたかったのかという事を考えると、坂本眞一の孤高の人は、新田次郎の孤高の人と比較すべきではない。谷崎純一郎の小説と比較が必要な漫画なのではないか、と言うのが僕の感想です。
動機付け
英語ではモチベーション。人が目的や目標に向かって行動を起こし、達成するまでその行動を持続させる心理的な過程を表す心理学用語。ビジネスやスポーツ、教育にも応用される。
行動を起こすきっかけ=動機
行動を起こし、それを持続させる=動機付け
「動機」だけでは不十分で、行動を持続する「動機付け」に発展させる必要がある。
内発的動機付けと外発的動機付け
自らの意思によるものなのか、外部からの影響を受けての事なのか。動機付けは2種類に分けられる。
内発的動機付け
金銭的利益のためでもなく、名誉や人望のためでもない、やりたいからやるという自身の内面から起こる動機付け。好奇心や探求心が元になっている。
例:子供のころに時間を忘れて夢中になって遊んだり、何かに熱中していた時。
外発的動機付け
報酬や賞罰など、外部からの影響を受けてから生まれる動機付け。
例:テストで〇〇点を取ったら、おこずかいをあげる。
心理学の考え方で、動機付けには「外発的動機付け」と「内発的動機付け」の二つがあるとされている。外発的動機付けは行動の要因が評価・賞罰・強制などの人為的な刺激によるものであるという考え方に対し、内発的動機づけは行動要因が内面に湧き起こった興味・関心や意欲によるものであるという考え方である。
一般的には、外発的動機付けの効果は一時的であり、人格的成長には必ずしもつながらないという見解があるが、外発的動機付けによって行動をしているうちに、次第に興味・関心が生まれ内発的動機付けへと変化していくこともあると言われる。
アンダーマイニング効果
報酬や評価などは関係なく、本人が好きで行なっている行為に対して、不用意に外発的動機づけを行うことにより、やる気がなくなってしまう現象。内発的動機付けに外発動機付けを行うことにより、モチベーションが低減する現象。外発的動機付けが内発的動機付けを阻害し、モチベーションを低下させてしまう事もある。
報酬やご褒美が無いとモチベーションを保てなくなってしまう心理に陥る。
外発的な要因は、内発的要因=自分自身を阻害し拘束してしまう事もあり得る。現在の社会は、外的な報酬や金銭に関わらない評価、地位であるとか名誉であるとか、注目を集めた、メディアで紹介された・・・等を含めて、人をコントロールしようという意図で溢れているのかもしれない。
エンハンシング効果
他人からの褒められたり期待されたりすることで、自発的なやる気が向上するという効果。 心理学では、言語的な外発的動機づけによって、内発的動機づけが高まる現象のことをいう。アンダーマイニング効果の対義語に当たる。
世の中にはこちらのタイプの人も多くいるような・・・
主人公森文太郎
内発的動機付けに徹底して拘る。外発的動機付けを徹底して拒絶する。自分の内面にアンダーマイニング効果が発生する事を極端なまでに避ける、孤独を好み人間関係を拒む人物として描かれている。
人は社会の中で悩みながらも自己の動機付けを模索し、それを見つけて内面と外面のバランスを保とうとしながら生きている。資本主義社会に於いて、人は仕事に就いて収入を得ていかなければならない(あくまでも一般論として)。人間関係に於いて時には、妥協や忖度や不本意な同調が必要になる時があるかもしれない。
孤高とは、個人の社会生活における1つの態度を表し、ある種の信念や美学に基づいて、集団に属さず他者と離れることで必要以上の苦労を1人で負うような人の中長期的な行動とその様態の全般を指す。本来は俗世間との通行を自ら断って1人で道を求める者の姿を指しており、私利私欲を求めず他者と妥協することなく「名誉」や「誇り」といったものを重視する姿勢から、周囲が「気高さ」を感じるような良い意味での形容に用いられる他に、協調性を欠いた独自の態度を軽く批判する場合にも用いられる。
高校生の森文太郎は最初は孤高というよりも、自分の殻に閉じこもる孤独を好む転校生として登場する。主人公の成長と共に、孤独が孤高に成長していく。人間関係のしがらみの中で悩み、苦しみ、自己と人間関係や社会とのはざまに起きる様々な葛藤の中で、自己実現に向けてもがき、内発的動機付けの充実に向けて、喘ぎながら生きていく。
クライミングとの出会い、黒沢の策略、恩師の死、仲間の変化と死・・・
孤独に孤高に生きた文太郎は結婚し、妻の姓である加藤文太郎となる。K2東壁最終アタックのシーン。文太郎の脳裏に浮かぶのは、妻の花であり、子供の六花。再会後はクズ化して描かれている高校時代の友人宮本も、生死の境に居る文太郎に励ましのアドバイスを送る(文太郎の脳内に)。
内発的動機付けにとことん拘り、孤高に生き、山と向き合った加藤文太郎。しかし生死の境では、極限の状況に置かれたときには、その精神は孤独ではなかったのだ。
各巻の最後に「極限の挑戦者」として、実在の登山家たちが紹介されている。1巻は山野井泰史。2巻は平山ユージ。お二人共メディアに出て来るときは気さくで明るい印象があるけれど、内面的には文太郎に近い、内発的動機付けの強さがある人だと思う。山野井はNHKからの撮影依頼、エベレスト登山という外発的動機付けを断っている。野球やサッカーのように大きな金銭の動くメジャースポーツと登山は異なる。高名な登山家も趣味のアマチュア登山者も、内発的動機付けに意義と美学を感じ、外発的動機付けに多少なりとも薄汚さや損得勘定を感じてしまう人は多いと思う。純粋な子供というか、芸術家に近い感覚かもしれない。
だから内発的動機付けに乏しく、外発的動機付けだけで行動している栗城史多は、その実力も含めて登山界では評価が低くなる。外発的動機付けは、一線を超えると成果だけを追い、内面の成長を伴わないものになってしまう。人気や評判だけが絶対的な判断基準になってしまう。偽善や欺瞞、薄っぺらさが感じられてしまうのだ。結果や評価だけを求めてズルをするのはいけない。嘘をついてしまうのもいけない。動機が不純であれば、行動や成果に美学や倫理が無くなってしまう。
「極限の挑戦者」として紹介されている本物の登山家なので、孤高の人には栗城史多は出てこない。登山の実力に雲泥の差はあるが、栗城史多と建村とキャラはかぶっていると思う。
建村も新美も、純粋に山に登りたいという内発的動機付けだけではなく、外発的動機付けに囚われていた。雑念や迷いがあった、と言い換えてもいい。極限の状況で生き残るのはどちらなのか・・・
外発的動機付けと内発的動機付けのバランス。
アンダーマイニング効果をできるだけ減らし、エンハンシング効果を増やしていく。
どちらも人間関係に於いて、社会の中で生きて行く上で、重要な事かもしれない。
現代社会における動機付け
動機付け=モチベーションを保ち、目標や成果に向けて頑張りたい。しかし、目標を見失ってしまったり、思うような成果が出せない時だってある。持続が必要な動機付けであるから、途中で挫折しそうになることだってある。僕のような凡人には、人並み外れた成果など望むべくもない。理想的な生き方は、そう容易く手に入れられるものではない。
自己の内面の充実と社会との共存。そのためにはどう生きていけばいいのか。そんなことを考えさせられる漫画「孤高の人」でした。
坂本眞一「イノサン」も宜しくです。
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