東水作鯊竿

江戸和竿東水作鯊竿

9尺3寸、仕舞寸法3尺3寸、3本継、穂先布袋竹、穂持ち及び手元矢竹

江戸川放水路のハゼボート釣りで使う旨を伝えたら、稲荷町東作本店で「今、いいのがありますよ」とお勧めされ10数年前に購入。

ご存知のように江戸川放水路の鯊は魚影が濃いのですが型は小さい。季節に拠りますが水深も浅いため、重り負荷の軽い柔らかい竿が適しています。

細身で軽く、10cmに満たない小型のハゼでも引き味が楽しめる調子。

優雅で上品。格調の高い釣り味です。

江戸和竿師東水

江戸和竿東水鯊竿

4代目東作に師事した肯定27人衆の1人。4代目東作の25番目の弟子に当たる。

つり人社『続・平成の竹竿職人 焼き印の顔』によると、その技量は6代目東作と肩を並べるほどで、昭和34年に独立後もカク東作印の最高級竿を作り続けていたそう。

昭和45年東作倒産と共に竿師を廃業して転業。

和竿(竹竿)全盛期からグラスロッドに時代が移り行く時期に廃業。しかも独立後も東作印の竿の制作を続けていたために、東水印の押された江戸和竿は150本程度しか作っていないと言う。

しかも外枠付き東水の焼き印は東水ご本人の手元にも残っていないらしい。

外枠付きはAランク、枠無しはBランクと焼き印を使い分けていたそう。

その竿銘が押された竿は幻と言っていいのかもしれない

つり人社『続・平成の竹竿職人 焼き印の顔』

とまで書かれている。

この竿は誂えた訳ではなく既成竿なので東作本店で買った際は、作りや希少価値の割に価格は思ったよりも安かった記憶があります。

『続・平成の竹竿職人 焼き印の顔』を読み、東水の歴史を知ったのはこの竿を買った後のこと。

稲荷町東作本店でこの竿の由来を松本耕平さんに尋ねたら「そうなんです。今は作っていないんですよ」と聞いた記憶もありますが、正直10年以上前のことなので記憶も曖昧。

その後

江戸和竿と言えども釣り竿に過ぎず使ってナンボだと思うものの勿体なく思ったり、江戸川放水路のハゼ釣りはのべ竿で狙えるシーズン初期から8月を過ぎると、アジングメバリングロッドで投げて広範囲を探った方が数は狙える。

また仕事も忙しくなり一時釣りにも行けなくなったので、今は正直言ってほとんど使っていない。

時々風に当てたり拭いて手入れをして眺めてはいますが・・・。

今やカーボンロッド全盛の時代。軽さと重量比強度や反発力の強さで竹竿はカーボンロッドに敵わない。

長さのある竿や繰り返しキャストするルアーロッドではカーボンが有利。

しかし江戸和竿にはカーボンロッドにはない釣り味があり、魚を掛けたとき他に代え難い感覚が味わえる。

短竿や小物竿など軽さが竿選びの最優先事項でなければ、決して懐古趣味や工芸品としてだけではなく釣り道具としていつまでも残って欲しいと思う。

創業1788年(天明8年)江戸和竿総本家東作の6代目松本三郎さん。
その歴史をかくまつとむさんがインタビュー形式で書籍化。
6代目松本三郎さんは、最後の弟子となる東亮(6代目東作の甥。東作本店店主の息子で5代目東作の孫に当たる)にその技を受け継ぎ、2015年に95歳で永眠。
江戸時代から脈々と受け継がれる伝統工芸の歴史が刻まれた書。