
『長岡鉄男のわけのわかるオーディオ』本棚から引張りだして久しぶりに読み返してみた。
初版は1999年。25年前に出版されたオーディオ解説本である。古い本であるが音の特性や聴こえ方、聴覚の個人差、音像や音場とは?、スピーカーに始まり各オーディオ機材のしくみをできるだけ平易に解説している。
普遍的な基本を解説しているので今でも充分通用する内容である。
ソフトウェアとハードウェア
オーディオはソフトウェアとハードウェアで構成される。ソフトとハードのウェイトは5対5か6対4くらいで、ソフトのウェイトが非常に大きいのだが、一般には3対7から2対8ぐらいにソフトが軽視されているのが実情。
長岡鉄男のわけのわかるオーディオP56ソフトとハードより抜粋
含蓄に富んだ、そして真理を的確に突く文章だと思う。
初版から4半世紀が経ちデジタルの歴史が刻まれ、ソフトウェアとハードウェアのウェイトは、氏が警笛を鳴らした2対8どころか1対9や0対10・・・周波数特性や歪み率など測定値だけでオーディオを評価する層が増えているような気もしないでもない。

デジタル vs アナログ、レコード vs CDの対立ばかりが煽られますが、アナログレコードはアナログレコードで生産国やリマスター盤、マトリックスなどなど同じアルバム内での音質差が大きい。
音質の良いアナログレコードはオーディオ機材のグレードを問わず、聴き手を感動させる力を持っている。
ソフトウェアの重要性を初心に帰って見直すべきではないかと改めて感じています。
出典は不明ですが、この言葉も長岡鉄男氏の発言とされています。
「最高のアナログは最高のCDを上回るが、最低のアナログは最低のCDを遥かに下回る」
如何にも長岡鉄男氏が言いそうな言葉である。ソフトとハードの構成比と併せ読むと現代でも通用するし、アナログレコード再生の本質を表していると思う。



曲も演奏も、そして音質も、本当に気に入った高品質のアナログレコードを手にしたら、ソフトウェアとハードウェアの比率が5対5なので、それはアナログ再生の半分を達成したのと同じこと。
「アナログレコードの帯域は40~16kHz」と言われています。しかし、これはあくまでも一般論で、優秀録音盤などには40Hz以下や16kHz以上が普通に記録されています。
長岡鉄男氏はソフトの解説で測定したf特を推薦盤と共に公開していました。
長岡鉄男のレコードえんま帳 (上巻) (ONTOMO MOOK)周波数特性や歪み率だけで音質が決まるとは思いませんが、参考にはなります。
アナログレコードは温かみがあって柔らかい肌触りの良い音という評価は、キレッキレのアナログレコードの音を聴いたことがないのだろうな、と。
暖かく肌触りの良い音もアナログサウンドの一つの方向性ではありますけど。
人の聴覚
本書でも人間の聴覚の個人差に触れています。加齢による聴力の衰え、特に高域は良く言われていることですが、一説には老化を除いても聴力の個人差は、測定可能な範囲に限っても2倍の差があるそうです。
音楽家の中に限っても絶対音感を持っているのは5%程度とも言われています。
カクテルパーティ効果=複数の異なる音声から必要な音を情報として聴き分ける能力、外国語のヒアリング能力にも個人差があります。
思い入れがある愛聴盤の、その中でも特別に心揺さぶられる演奏のニュアンスの聴き取りなどは、何十回何百回と聴いている愛好家と初めて聴くのとでは、聴こえ方というか感じ方の個人差は非常に大きいと思われる。
測定できない聴覚の個人差は確実に「ある」といえるでしょう。
「好きなCDだから感動してるんでしょ」では片付けられない、微妙なタッチの差や表現の違いを聴きとれている・・・とかあり得ると感じています。
現代科学は全てを解明している訳ではありません。
オーディオとは、ひとりひとりが己れのセンスを追及していくことであり、一万人のオーディオマニアがいれば、一万組のちがったコンポーネントができて当然なのである。
これも深みのある言葉です。
特にクセの強い大型スポーカーを飼いならして、自分のものとして鳴らしているのを聴いたりすると、特に強く感じたりします。
また、メディアや雑誌のオーディオ機器の評価や、世間の評判に振り回されることも無くなります。
Gregorio Paniagua/harmonia mundiの優秀録音を広めたのも長岡鉄男氏の功績が大。
ケーブル
「手段が目的化することを趣味という」
長岡鉄男
本書ではケーブルの素材や構造の違いと共に音質の違いにも触れられています。
金田明彦氏、江川三郎氏によって1970年代にオーディオケーブルの音質差が初めて指摘され、同時に検証や白熱した議論を呼んだ。
ケーブルによる音の違いの議論は今も続いていて、無限ループの様相を呈していますw
「無線と実験」1974 年 4 月号の金田明彦氏の指摘が発端となっています。
江川氏はケーブルで音が変わるのは、測定では測れない表皮効果ではないかと推測していました。
そもそも論として科学が全ての事象を既に解明しているなら、『研究』は必要ないと言うことになってしまう。
新たな論文も意味がない事になる。
現代の科学をもってしても解明されていないことは沢山ある。オーディオなど足元にも及ばない「ヒト、モノ、金」を投入している医学の分野でも。早期発見の難しい膵臓癌などもそうですよね。

「ケーブルで音は変わらない」「アンプで音は変わらない」「アナログはCDに比較にならない程劣る」とする方が、自分に都合のよい情報ばかりに着目してしまう認知バイアスでフラセボなんじゃないかなと?
価格と音質が必ずしも比例しないし、ケーブルを変えたからと言って変化が大きな場合もあれば大差なかったり、逆に期待して交換しても前のが良かったとか、本当に好みと個人差があるのがケーブル含めたアクセサリーではありますが。
あくまでも『アクセサリー』は『アクセサリー』なので、本質的な変化ではないし、変わらない場合や悪くなる場合もある。例えが適切ではないかもしれませんが、ちょっとした『調味料』程度に留めておく程度で良いのかもしれません。
アナログとデジタル
先に引用した氏の発言とされる
「最高のアナログは最高のCDを上回るが、最低のアナログは最低のCDを遥かに下回る」
は、推測ですが本書の「アナログとデジタル」に書かれている内容の改編なのではないか?
一般にはADの音は柔らかく、温かみや音楽性があって、人間的な音だとされている。しかしこれはAD本来の音ではなく、インシュレーターの音である。
~中略~
ADプレーヤーも脚をヘビー級の焼結合金や真鍮製に交換すれば音色一変、CDを上回るシャープでハイスピード、壮絶な音になる。
~中略~
AD本来の音を聴いている人はほとんどいないのではないかと思う。
~中略~
インシュレーターを効かせたADプレーヤーで聴く限り、ADはCDに負ける。
個人的にはインシュレーターだけでここまで変わるとは思わない。インシュレーターをカートリッジからフォノイコラーザーまで選りすぐった「最高のアナログ」システムとすれば、腑に落ちる内容だしデジタル信望者には反論があるでしょうが、より普遍性を持たせた内容になる。
僕は長岡鉄男教信者ではないし、氏の著作を全て読んではいません。
長岡鉄男氏本人による改編なのか、第3者なのか・・・
「最高のアナログは最高のCDを上回るが、最低のアナログは最低のCDを遥かに下回る」の出典をご存知の方がいたら教えて下さい。
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