エコーチェンバー現象

2019年8月25日

エコーチェンバー現象とは

同じ価値観を持った閉鎖的なコミュニティの中で、自分と同じ意見の人々だけのコミュニケーションが繰り返されることで、あたかもその意見が正しいと思い込んでしまうこと。
意見や思想や情報などが、価値観の近い者同士のコミュニティでやりとりされることで、より増幅され強化される現象。
同じ又は近い考え方、価値観、感性を持った人たちの間で、ある特定の意見が同調、賛同、共感を得る事で増幅していくこと。

特定の情報や意見、信念や理念だけが正のように増幅される。他の情報や意見、特に異なる角度からの意見がかき消されてしまう状態に陥る。

インターネットやSNSが普及する以前、1990年頃からメディアの報道が、しばしばエコーチェンバー現象を引き起こす事がある指摘はされてきていた。
特にソーシャルメディアが普及してから顕著になり、事実であるかよりも、感性に訴える情報により共感できるかどうかが重要視され、偏った考えの普及を助長する危険性を孕んでいる。

職場や学校などのコミュニティでも、「あいつは〇〇だ。」と評価や批判が広まってしまうこともある。例え、その評価(噂)が事実と異なったとしても。影響力の強い人から発信されれば尚のことだ。同調圧力や服従心理が働くと、Noと言えない雰囲気が出来上がってしまうことがある。

歴史を紐解いても、政治やイデオロギーに於いてエコーチェンバー現象は利用されてきた。
エコーチェンバー現象という言葉や定義が無かった時代でも、集団を操る方法としてSNS以外のリアルな人間関係の場でも、エコーチェンバー現象は使われている。

政治やイデオロギーに関わる意見の分極化にも、エコーチェンバー現象が見受けられる。

サイバーカスケード

インターネット上に於ける集団極性化現象。思想や価値観、考え方を同じくする人々が、インターネット上で強力に結びついた結果、異なる意見を一切排除し、閉鎖的で過激なコミュニティを形成する現象。

インターネット、特にSNSは、すべてを把握できないほど多様な情報や意見、感想が転がっている空間だ。それにも関わらず多様性から目を背け、自分にとって心地よい言葉だけを追いかけ、似た者同士だけで結びつきを強固に保ち、異なる意見に対しては排他的になる傾向がある。

多種多様な情報や感想が洪水のように溢れている、この混沌としたインターネットの世界で、多少の綻びや辻褄の合わなさなどものともせず、何かを確信した気になっている人や集団はある意味強い。
その超然とした確信ぶりに多くの人が感化され、雪だるま式に集団が膨れ上がっていく。
エコーチェンバー現象によって、結束が高まった強固な集団が形成される。
情報発信者は自分の意見は認められ受け入れられて当然だ、という奢りも生まれる。

理論的な正しさよりも感覚的な心地よさ

特にSNSでは、この傾向が強くなるように感じる。同調には「いいね!」を、異なる意見には「ブロック」を。繋がり易い反面、繋がりを簡単に断つことができるのもSNSの特徴だ。リアルな人間関係でも、「無視する」という対応はSNSのブロックと同義だ。

インターネットは、趣味を同じくする者同士を、考え方や感想を同じくする者同士を、容易に出会い結びつけてコミュニティを形成できる特徴がある。
「類は友を呼ぶ」状態となり自分に都合の良い情報ばかりが集まるようになる。
また、人間には自分の信じたい情報を主体的に選択し、その一定の傾向を備えた情報を信じやすい特性がある。

実社会のコミュニティでは出会うことが出来ない知識を得ることが可能になる反面、ある種の危険性も孕んでいる。
情報の偏りによる誤認、認識や考察の浅さなどに陥ってしまう可能性もある。誰々がこう言っていた、と安易に同調する事などは、その典型的な例だ。
異なる意見を安易に工作員やら敵に認定してしまうのもどうかと思う。

リアルな人間関係に於いて日本人は空気を読み、察して事を進めることが習慣になっていると思う。質問や議論に慣れていないから、感情に逃げる傾向があるのではないかと思う。

また、第1印象だけで単純に結論を決め急いでいる傾向も見受けられると思う。

信者ビジネス

エコーチェンバー現象を上手に活用し一定数以上の賛同者が集まると、そこに収益が発生し個人でもビジネスとして成り立ってしまうケースがある。
インターネット上で様々な媒体を活用し、会費を募る、サロンを形成する、講演会を開催する、情報商材を販売するなどなど。

栗城史多さんも、その典型例だと思う。登山家としてのレベルや精神性の高さよりも、共感と賛同だけを求めていた。
SNS上では異なる意見は削除し、登山メディアの取材は断り、「応援し合える社会」を目指していました。
協賛スポンサーを含めて、サイバーカスケード状態になっていた例だと思う。

内容が伴わなくても、わかり易さや情報発信力があると、このような事が生まれてしまう。

まとめ

〇〇は信用できないと、端からコミュニケーションを拒み、選択肢から除外してしまう事は努めて慎みたい。

フェイクニュースを鵜呑みにして拡散してしまうのも、似たような心理から生まれているのではないかとも思う。

自分にとって心地よく快適なコミュニティ”だけ”に依存して、どっぷりはまってしまうのは良くないと思う。

逆に、どんな意見でも認めなければいけない、となってしまうと、これはこれで間違いや認識不足まで認めなければいけない事になってしまう。指摘も出来ず、学び成長することもできなくなってしまう。バランスは大事だなと思う。

僕の趣味であるロードバイクでも、楽しみ方や走り方の志向は人それぞれ。製品に関しても突き詰めると何が良い物かではなくて、自分にとって何が1番フィットするかになってくる。
ある人にとって良い物が、別の人にとっては必ずしも良い物になるとは限らない。しかし、整備や調整に関しては優劣はあるし、正しい事もあれば間違っている情報や行動もある。
レースに出場すれば順位が付き優劣が明確になる。理屈と感性のバランスも大切になってくる思う。

人間だもの。

未熟なところもあるけれど、努力はしていきたい。

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