手塚治虫『陽だまりの樹』

2021年9月12日

手塚治虫著『陽だまりの樹』

コロナ禍の今こそ『陽だまりの樹』を読むべきではないか

幕末の江戸を舞台に漢方医と蘭方医、尊王攘夷と文明開化。異なるイデオロギーが真っ向から対立していた。

外国人への偏見と未知なる文化への拒否反応。

鎖国か開港か。未知なるものを脅威と感じ、排斥する思想である尊王攘夷。

現代よりも医学が未熟だった当時、市民に恐れられた天然痘やコレラの流行。有効な方法であるにも関わらず、拒否され続けていた種痘の予防接種。
牛痘を人間に接種したら牛になる、と真面目に信じられていた時代である。

江戸に種痘所を設立するにも一筋縄ではいかない。しかし努力の甲斐あって天然痘は日本では1956年以降に国内での発生は無く、1977年ソマリアにおける患者発生を最後に地球上から無くなっていると言われています。

江戸の種痘所開設に一役も二役も買った人が、手塚治虫の4代前と3代前の曾祖父なのです。

本書はその3代前の曾祖父を主人公に江戸末期の激動の時代を描いた太河ドラマとも言える作品。

未知なるものへの恐れ。そして拒絶と偏見。

「いいとこ取りをすれば」「話し合って最善案を」「最大公約数的な両者の妥協案を模索してみては」「先ず相手の話しを良く聞いてエビデンスを確立して」「誤った認識や価値観は上書き修正」すればいいのに。

そのようなことは通用しない。

両者は真っ向から対立。権力との癒着。抗争と戦争。

正しい理より権力者の意志と決断が優先される。権力者に相対する者の意志は通らない。

今でこそ激動の時代を振り返り、歴史から良いところだけを学ぶことはできる。

外国人を理由なく恐れて偏見を持つ。種痘への誤った認識と根拠のない噂。

「江戸時代の人は愚かだったな」と感想を持つのは簡単である。

しかし20年後、50年後そして100年後に、この2021年を振り返ったとき、古い価値観に縛られた奧医師や江戸庶民と同じ言動が、現代でも行われていることはどう見られるのだろうか。

著者 : 手塚治虫
手塚プロダクション
発売日 :
幕末の激動の時代を描いた大河ドラマの手塚漫画版。
個人的に手塚漫画の「大河ドラマシリーズ」と呼んでいる作品の中のひとつ。
大河ドラマシリーズはどの作品もお勧めできる。

新型コロナウィルスに関するデマや偽情報、フェイクニュースの拡散。果ては陰謀論まで。

真偽に関わらず、ショッキングで感情に訴える情報ほど拡散されやすいという見解があります。

新型コロナワクチン(mRNAワクチン)注意が必要な誤情報|厚生労働省2021年9月7日版(pdf形式)

現代人よ、大丈夫?

いつの時代でも人間は愚かな生き物なのかもしれません。

新型コロナウィルス COVID-19 に関する情報は厚生労働省『新型コロナウイルス感染症について』を参照してください。

『歴史は繰り返す』歴史から学ぶ

手塚治虫『陽だまりの樹』

『過去に経験の無いこと』に遭遇したとき、どのような感情が生まれ、人はどのような判断を下し行動に結びつけていくのか。

近しい人が言ったことが誤っていることだってある。

0か100か、どちらか一方の両極端ではない。絶対がありえない感染症予防対策。風邪だって予防策はあるけれど絶対に風邪に罹らない予防策などありません。
リスクのパーセンテージを減らす行動を取ればよいはずです。

100%の絶対ではないけれども、科学的なエビデンスに立証された情報を主査選択していけるかどうか。

現代人に問われているのではないでしょうか。

個人の自由や少数派認めた上で、それをを意識し過ぎるあまり、正しいことを控えめに言わなければいけない情況に陥ってしまっているようにも感じています。顔色を伺いながら控えめに。

そこにショッキングなデマや極端なことを発言する人が生まれる余地が出来てしまう。

無念だ。時代が正しいことをさせてくれないのだ。

陽だまりの樹3巻P377

「誰々が言ったから」「SNSでいいねが多かったから」「フォロワー〇万人の発言だから」改められるきっかけにまると思います。

「誰が言ったかではなく、何を言ったか」で新規の事象を思考するきっかけとして、コロナ禍における現代に於いて手塚治虫著『陽だまりの樹』が最適だと思うのは僕だけでしょうか。

過去の経験では判断できない事象に遭遇したとき、未知なるものが目前に現れたとき、どのように考え、そして判断し行動すべきなのかを。