佐藤多佳子「夏から夏へ」

2019年5月20日

夏から夏へ (集英社文庫)

陸上男子4×100mリレー北京オリンピック銅メダリスト、塚原直貴、末續慎吾、高平慎士、朝原宣治、そして控えの小島茂之。
その5人を2007年大阪世界陸上で日本新記録&アジア新記録を更新し5位入賞を果たしてから、翌年の北京五輪へ向けて、練習に取り組んでいる時期までを丹念に取材したドキュメント。

北京五輪優勝のジャマイカは2017年1月、ドーピング陽性で失格処分となる。日本の繰り上げ銀メダルが確定している。陸上競技トラック種目では日本男子史上初、女子を含めても80年ぶりとなるメダル獲得の快挙を達成。

取材を重ね、選手たちの素顔から練習に取り組む姿勢などが、重くストイックにならない、どちらかというと軽く親しみやすい文章で丹念に綴られています。
北京五輪前の刊行なので、あの感動を呼んだオリンピックのシーンはありません。続編を期待したいところ。文庫化にあたり、北京五輪後に現役を引退した朝原宣治との対談が巻末にあります。

僕の学生時代、長距離はそこそこ得意で、陸上部の後の方と競り合える程度でした。だからかもしれませんが、短距離種目にはあまり興味が持てなかった過去があるのです。

2007年大阪世界陸上男子4×100mリレー

そんな僕が、2007年大阪世界陸上での日本新記録更新をテレビで見て、大変に心を揺さぶられたのです。日本記録を樹立したからだけではない。
陸上短距離種目のこともリレーのことも、何も知らなかったけれど、この選手たちのチームには”何か”があるな、と気になって仕方がなかった。これが、この本を読んだきっかけになっています。

当時テレビで大阪世界陸上のリレーを見たときは、何となく「この選手たち凄いかも」位の感想しか持ちえなかった。
後に多少リレーという競技を知り、バトンの受け渡し精度や技術、そしてチームワーク。ただ走ってバトンを渡せばいいのではない、38秒程度の時間の中に、団体競技のエッセンスが詰まっていることに気が付きました。

塚原直貴、末續慎吾、高平慎士、朝原宣治の4選手が、無知な僕にも気が付くような走りを魅せてくれていたんだ、と今は思います。
バトンの受け渡しのとき、このチームは加速しているように見えた。実際には、他のチームよりも速度の落ち込みを限りなく少なくしている、といったところだと思います。

日本新記録を出したレース後のインタビューで、興奮冷めやらぬ塚原選手。「日本記録を更新しても5位なんて」と言葉とは裏腹に、明るく充実感溢れる表情で語った朝原選手。12年経った今でも記憶に残っています。

2022年7月、大阪世界陸上2007公式動画がYouTubeに公開されました。

夏から夏へ

この本も2007年大阪世界陸上の準決勝のシーンから始まる。個人種目の200m走2次予選後、体調不良で痙攣を起こし倒れてしまった末續。
コンディションに不安の残る中、バトンが詰まりながらも38秒21の日本新記録を叩き出し、アメリカ、ジャマイカに続く3位で決勝進出を果たす。
7年間破る事が出来なかった日本記録を0.1秒も縮める快挙を予選で達成してしまう。

記録を出したため、4人はドーピング検査を受ける。末續は個人種目で痙攣を起こし倒れたため、そのときもドーピング検査を受けているので、これで2度目。検査で遅くなり宿泊地へ戻ったのは深夜12時近い時刻。ホテルの限られた食事メニューに飽きていた選手たちは、深夜のなか卯に食事に行く。

深夜のなか卯は、他の客がいなかった。4人だけで、誰の目も気にせず、1つの大仕事を終えた彼らは、のびのびと解放感にひたった。特に、注目度が高い上に、ぎりぎりの体調で賭けのようなレースに臨んだ末續は、心の底からくつろいで、”普通の人間”に戻れたとしみじみと思った。

「贅沢しよっか。ねえ、贅沢。」

「アジア記録出して、牛丼だもんな。」

と口々に言いながら食べた牛丼は、末續慎吾の心身にしみいるほどにうまかった。

楽しくリラックスしながらも、記録に舞い上がることもなく、自分を見失うこともなかった。プレッシャーになることもなかった。3か所でバトンが詰まってもこのタイム。
明日の決勝ではもっといいレースができる。タイムも縮められる。
日本新記録、アジア新記録を出しながら、冷静に改善点を洗い出し、試合に臨むアスリートとして素晴らしい精神状態を保っている。

男子4×100mリレー決勝

リレーのメンバーは完璧と言っていいほどまとまっていた。後になって現役続行を表明したが、この大会を最後に引退するかもしれない朝原とのラストランになるかもしれない。
「朝原さんにメダルを!」が合言葉になっていた。その想いは翌年の北京五輪まで揺らぐことなく継続することになる。

1走の塚原は左足に故障を抱えながらの北京オリンピック決勝でも、素晴らしいスタートだった。このレースでもリアクションタイム0.128秒(0.1秒以下はフライングになる)の最高のスタートを切り、「これまでの競技人生で最高のパス」で2走の末續へ、ベストなタイミングでバトンを繋ぐ。

2走の末續は、良い走りが出来た時ほど残っている記憶が少ないというタイプの選手。所謂”ゾーンに入る”状態になっているからだと思う。
このレースでの記憶も自分が走っているときのものは残っていない。2003年に未だ破られていない200m20秒03の日本記録を出し、世界陸上パリ大会で200m走決勝に進出。
20秒38で3位となり日本人初のメダル獲得。同じく2003年に100mでは10秒03(2019年現在日本歴代5位)のタイムを出している。
日本人初の100m9秒台、200m19秒台を常に期待されるプレッシャーと闘い続ける中で。

3走の高平。前の方で来る予想はしていた。本当にトップの方で末續が来た。「これは来たな!」予選よりも引っ張ってバトンを受けた。良い加速ができている。アメリカが僅かにリードしているが、上位5チームが僅差のダンゴ状態でアンカーの朝原へバトンを繋ぐ。

アンカーの朝原はゴールしたときに隣のレーンが見えていなかった。3位以内には入れなかったのはわかっていたが、自分が何番目なのか把握できなかった。審判が協議したため、結果が電光掲示板に表示されるのが遅れた。

結果は5位。38秒03のアジア新記録、日本記録を再度更新した。

「勝てねえか・・・」

選手たちが見つめている先は、もっと上なんでしょうね。

トレーニング

各選手の普段のトレーニング、世界陸上が終わり北京五輪に向けての練習も、インタビューを交えて丹念に取材している。

末續選手が練習で”死ぬ(ヘバる)”のは、同じ100m一本走るのにも、それだけ追い込んで走っているからなんだ。

朝原選手以外は、企業に所属した社会人選手でも練習は出身の大学でやっているんですね。所属企業との契約期間も1年ごとの更新なんだとか。

その後・・・

塚原直貴、末續慎吾、高平慎士、朝原宣治の4選手は、過去に日本人が辿り着くことが出来なかった道を切り開いた。その道がリオ五輪で更に先に進み、そして東京五輪へ続いている。

北京オリンピックが終わってからの無期限休養宣言。復帰後に明かされた末續選手の苦悩・・・言葉が見つかりません。期待され、注目され、尚且つ突き詰めて集中し過ぎるほどだからだったのでしょうか。
高野進コーチ、伊東浩司さんや当時の所属ミズノは、そんな末續選手のことを当時から気付いていたようです。この本に書かれていた内容からの推測ですけれど。

現役を退いた今となっても、5人の今後の活躍を陰ながら祈っております。