竹内洋岳「標高8000mを生き抜く 登山の哲学」

2019年2月27日

プロ登山家竹内洋岳最新情報

2020年2月20日発表。エベレストへ向かって

日本人唯一の世界8000m峰14座完全登頂を達成したプロ登山家・竹内洋岳は、2020年という年が、冒険家の植村直己氏、登山家の松浦輝夫氏が日本人で初めて世界最高峰のエベレスト(8848m)に登頂してから50年のゴールデンジュビリー、メモリアルイヤーであることを讃え、両氏がエベレスト登頂に成功した5月11日の同日登頂を目指す「エベレスト日本人初登頂50周年メモリアル登山プロジェクト」を実施します。

https://honeycom.co.jp/hirotaka-takeuchi/everest50th/

同WEBサイト内に1度消えていたブログも復活しています。

2020年3月14日追加情報

新型コロナウィルス対策としてネパール政府は、今春のエベレストの登山を許可しないことを決めた。

日本人初の8000m峰全14座登頂を達成した興奮も冷めやらぬ、翌2014年に出版された竹内洋岳(たけうち ひろたか)の自著。登頂した8000m峰14座のうち11座が無酸素登頂も日本記録となっている。
大規模遠征隊に参加しての登頂は1990年代まで。2000年以降は少人数で酸素ボンベやシェルパを使わないスタイルでの登頂となっている。

8000m峰全14座登頂

14サミッターとも言う。竹内は世界で29人目。世界初は1986年に達成したラインホルト・メスナー(全て無酸素登頂)。実力を備えた登山家でも、運を味方に付けなければ届かない記録。
過去、記録達成確実と誰もが認める一流の登山家でも、道半ばで事故や悪天候に阻まれ命を失っている。8000m超の山に14回以上も遠征していれば、リスクに遭遇する確率は否が応でも高まってしまう。
竹内自身も2005年エベレスト遠征では、7550m地点で脳塞栓となり意識不明に陥る。2007年ガッシャーブルムII峰では雪崩に巻き込まれ同行者2名死亡、自身も腰椎破裂骨折、片方の肺が潰れ肋骨5本骨折の重傷を負っている。

哲学というタイトルから重く難解な登山思想が語られていそうですが、平易なくどさのない文章で氏の登山への想いや考え方、日本人初の8000m峰全14座登頂までの歩みが読みやすく書かれています。立正大学客員教授でもあるその風貌に似あわず、お茶目でジョークも通じる氏の性格が表れているような気もします。

地球上で最も宇宙に近い場所、標高8000mの世界

夜空の星、朝焼けや夕焼け、都会からでは見る事が出来ない特別な景観。

アタックではなくサミットプッシュ。頂上に攻撃に向かうのではなく、自分の体を頂上に押し上げるのだ。玉や自然は人間が征服できるようなものではない。

無酸素で登る8000m峰は、素潜りに近い感覚。1番深い海底にタッチして帰ってくるようなもの。

一言では語れない登山の奥深さも、登山家たちが伝えていかなければならない。

登山との出会いと大学山岳部時代、ICI石井スポーツに就職

石井スポーツの話も思わずほっこり。氏の高所ヒマラヤ登山も、最初は大規模な極地法の登山隊に参加することから始まります。

ラルフ・ドゥイモビッツやゲルリンデ・カルテンブルンナー(ちなみに2人は夫婦です)ら、国際的にも実力と実績が認められている登山家達との出会いと、彼らとの登山。

酸素ボンベを使わない、小規模な国際公募隊による速攻登山に取り組み始める。登山費用も大幅に抑えられるメリットもある。

登頂できなかった遠征も、文体が変わらずに、その登山内容が臆することなく書かれています。竹内氏の誠実な性格が表れていると思う。

ゲルリンデ・カルテンブルンナーは女性として世界初となる、無酸素での8000m峰全14座登頂を成し遂げている。竹内は初めて彼らと共に遠征した2001年ナンガ・パルバットのサミットプッシュで、腰までの積雪があるにも関わらず先頭でラッセルを続け、「コマツ(のブルドーザー)」とニックネームで呼ばれるようになる。ナンガ・パルバット、アンナプルナ、シシャパンマ、カチェンジュンガ、ローツェ、マナスルの6峰をラルフらと共に登頂している。

2007年ガッシャーブルムⅡ峰で雪崩に巻き込まれ、腰椎破裂骨折の重傷を負ったときのこと。

救助ヘリの手配はWECトレックの貫田宗男さん。その後のリハビリとガッシャーブルムⅡ峰へのリベンジ。登頂して初めて涙を流す。

リハビリから復帰後の初登山は花谷泰弘さんにガイドを依頼して冬の八ヶ岳・阿弥陀北稜へ。山岳ガイド花谷泰弘さんのブログにその模様が書かれています。2人の遣り取りが面白い。

その依頼は、12月の中ごろにありました。
メールの内容は、
「オッサンを一人、八ヶ岳にガイドしてあげてください。
口は悪いですが悪い人ではありません。
本人は主稜を登りたいと言っていますが、どーかな?
入山の様子を観て花谷くんが決めてくれていいと思います。」
お。もしかしてお客様を紹介してくれたのかな?
持つべきものは友達だなあ。。。ありがたいなあ。。。
しかし、読み進めていくとどうも様子が違う。
続きにはこんな内容が。
「ただ、一つ問題は、このオッサン、数ヶ月前に高いところから落っこって
背骨やら肋骨やらを折ってしまって対外的にはリハビリ中の要安静ってことになっています。
怪我以来、初の登山なので、途中で、疲れた!とかワガママを言い出すかもしれません。
特に、荷物はまったく持てません。空身で登らせてください。
どうでしょう??
受注してくれますか??」

14サミッターになると目標を設定しての「プロ」宣言。

自称登山家ではなくプロ登山家として:登山家に限らず大抵の〇〇家は資格がいらない。〇〇家という職業は自称できてしまう。これほど胡散臭い職業はない。自分自身がそのように胡散臭くならないために、覚悟を持ったプロ宣言。

登山はスポーツである。

他のスポーツ同様に明確なルールに基づいて、正確でオープンな行動と報告をすべき、との正論を語る。14座完全登頂となる2012年のダウラギリでは、GPSでリアルタイムの位置情報を発信し続けた。
本書には書かれていませんが、氏は自身のブログで「単独や無酸素が、実際それを伴ってもいないのに軽々しく使われている。」と警告しています。
スポーツ界のアンチドーピングの厳密なルール同様に「単独」「無酸素」「アルパインスタイル」等の定義に正確に基づいた登山をすべきと言っています。
そして登山の審判は自分自身。嘘偽りなく、登頂できなかったときも正確な報告をすべきである、とも言っている。

「自分自身でフェアにジャッジを下せないのであれば、登山はスポーツになりえない。」

僕はこの考え方に大賛成で喝采を送ります。

中島健郎が山岳カメラマンとしてデビュー。竹内洋岳に同行。

短期間で高所順応を済ませる竹内さん。高所に順応するのが遅い中島さんは苦しかったろうな。しかし、ここから中島健郎さんは登山家として、山岳カメラマンとしてのキャリアを積み重ねていきます。

日本人初の8000m峰全14座登頂を達成

山田昇ら偉大な先輩登山家も成しえなかった記録を達成する。新聞の1面を飾り、プロ野球始球式にも呼ばれることになる。登山専門誌以外のメディアやマスコミに、これだけ大きく取り上げられるのは異例のこと。※自ら広報に余念のない某自称登山家は除く。

しかし、氏は取材の喧騒に自惚れる事無く謙虚な姿勢で、登山の歴史の中での自分の記録を冷静に受け止めています。

最初の8000m峰登頂となる1995年マカルーから、完登となる2012年5月26日のダウラギリまで、その軌跡と竹内氏の思考と人生の歩みが読み解ける1冊。

TV番組クレイジージャーニーに出演したときに、小池栄子さんから「大学教授みたい」と評されていました。ホント、そのような雰囲気がありますよね。淡々と深い事を語っているようなところが。竹内氏は立正大学客員教授なので、大学教授みたいと言うより本当に大学教授です。

本書には書かれていない内容ですが、洋岳と名前を付けた祖父から、幼少の頃から釣りの手ほどきを受けている竹内さん。釣りキチ三平世代であることを公言し、趣味である釣りとの関わりをSHIMANO Fishing TVインタビュー動画で語っています。

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