山口周「劣化するオッサン社会の処方箋」

2020年4月18日

劣化するオッサン社会の処方箋~なぜ一流は三流に牛耳られるのか~ (光文社新書)

ビジネス書大賞2018準大賞受賞作『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』著者による、日本社会の閉塞感を打ち破るための画期的な論考!

「アート・サイエンス・クラフトのバランス」の重要性

就職すれば誰も彼もが一生安泰といえる時代ではなくなった。

社会全体の問題でもあり、またそれが個人にも降りかかってくる。

著者の山口周は、組織は劣化が必然と本書で言っている。

組織に依存しては生きていけない時代。

そんな時代に

僕が自己啓発本やセミナー、マインドセットが嫌いな理由は、

例えば通訳になりたいとか、国際的な企業に採用されたいなどの目標があったとする。英語を勉強して、人1倍の英語力を身に付けようと努力を続ける。

〇〇大学に入学したいという目標でもいい。

サッカー選手になりたければ、練習に打ち込んでプロとして認められるだけの一定レベル以上の実力を身に付けなければいけない。

自己啓発やマインドセットは、学習のために机に座ること、サッカーの練習のためにグラウンドに行くこと。これだけを一生懸命に説いている気がする。

大切なことは、そこから先だよな。
練習場に行く気のない人がモチベーションアップだのなんだの言ってる気がする。

教養と情報の寿命

環境変化の激しい現代に於いて、最新の情報や知識こそが重要で正しいと考えてしまいがち。

しかしそのような情報は、新しければ新しいほど効用の旬となる期間は短い。新しい情報にアンテナを張りブラッシュアップやリライトする事も必要。

それだけではなく環境変化に対して普遍の知識、教養的知性が求められる。

凡人は天才を見抜くことができない。

本書P44より

インフルエンサーやSNSのフォロワー数至上主義と関連させて考えると、納得してしまう。いや、納得してしまっては良くないのだろうけれど。

オピニオンとエグジット

オピニオンとは、おかしいと思うことについては、おかしいと意見をすること。

エグジットとは、理不尽な権力者の影響下から脱出すること。

顧客と企業との関係。株主と企業との関係。家族や友人関係。互いに尊重し合い、向上心を保った状況下に於いてはオピニオンもエグジットも効果的に作用する。

しかし最近のクレームに時々見受けられるような、個人の主観による言いがかり(売り切れなのにマスク売れとか)やGoogleマップにもある一部の評価に値しない評価は如何なものかとは思う。

そして社会的に再就職が難しい背景があり、中には精神的な疲労が積み重なって会社を辞めざるを得ない人もいる。「ブラック企業なんか辞めてしまえ」「辛くなったら無理をしない」「まだ会社で消耗してるの?」という声もある。特にSNSやネット上には。
傷ついた心には優しく響いてくる声かもしれない。しかし、再就職できなくても、フリーに転身して失敗しても、そうした発言をした人たちは、誰も助けてはくれない。

副業やフリーランスになっても、誰もが成功する訳ではない。セーフティーネットのしくみが出来ればいいけれども、それも簡単な事ではない。社会のひずみ。

本書でもエグジットを安易に推奨している訳ではない。

フィードバックの欠如

度を越した忖度と同調圧力が行き過ぎると、オピニオンとエグジットの欠如をもたらす。

これがフィードバックの欠如である。

著者は日大アメフト部や日本ボクシング協会、オリンパス粉飾決算事件の例を挙げ、システムや組織が健全に機能するためには、フィードバックが如何に重要であるかと説いている。

自分なりの美意識

審美眼、道徳観、倫理観、世界観・・・を持っていれば、明確に「許容できるか、できないか」という一線を自己の内面に持っている。

持つべきだと思う。好き嫌いや我がままではなく。

この美意識の一線を超えた振る舞いや行為をしようとしている、またはしてしまった。明確な美意識を持っている人であれば、「それは間違っているのではないか」「それは許されないのではないか」と声を上げる。

著者の山口周は美意識と言っているが、道徳観や倫理観が僕としてはしっくりくる。

情報商材や栗城史多さん、スポーツ界に於けるドーピングを批判しているのもこれ。
僕の中では一線を越えてしまっている。

フィードバックが許されない空気

上司に意見したり、反論でもしようものなら「俺に歯向かうヤツ」「俺の意見に従えないヤツ」「空気を読めないヤツ」とレッテルを張られてしまう。

会議や集団内、テレビを始めとするメディアでも、こうした「フィードバックが許されない空気」が、拡大傾向にある。

元プロボクサー、元世界チャンピオン畑山隆則さんもYoutube動画の中で、ボクシングの解説に限ったことではなく、世の中全体が忖度し過ぎて「ダメなものはダメ」「良いものは良い」と正直に言ってはいけない空気がある。と言っていた。

全くその通りだ。間違ったことを言っている人が開き直って「批判は悪いこと」と排他的な雰囲気を作ってすらいたりする。

本書とは無関係だけれどもYoutube動画では自転車ロードレース関連以外では、先に挙げたボクシングの 渡嘉敷勝男&竹原慎二&畑山隆則 公式チャンネル や野球の Satozaki Channel にハマッている。

忖度抜きの本音トークが楽しいし心地よいのだ。自己啓発系なんかよりも、よっぽどモチベーションアップにもなると思うけどな。

批判は悪口ではない。良い所と悪い所をはっきりと見極め分析し、評価や判定すること。そして改善案や改良案を提案できれば尚良しである。

モビリティの低さ

モビリティとはエグジットを行使して所属する組織を抜け出しても、現在と同様又は向上した生活水準を維持できる能力。

日本企業の多くは会社の中に人的資産が閉じて形成され、モビリティが向上しにくい。

就職したら一切学習しないという風潮は、世界的に見ても日本が最下位になるという統計もある。本書の中でも、特に若年層は本を読まないことを著者は懸念している。
20代~30代のおおよそ半数がひと月に1冊も本を読まない。このように知的に怠惰な習慣でそのまま何十年と生きていれば、現在の劣化したオッサン以上に、パワーアップして劣化したオッサンが社会に大量に供給されるだろうとも言っている。

モビリティは一部の突き抜けた人や努力を重ねた人が成功を手にする世界。誰もが可能な訳ではない。

「はじめに」や「裏帯」にあるが、本書で用いる「オッサン」は年代や性別で規定されるのもではない。

ある種の行動様式、思考様式を持った特定の人物像を指している。

  1. 古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を否定する。
  2. 過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない。
  3. 階層序列の意識が強く、目上の者に媚び召したの者を軽く見る。
  4. よそ者や異質なものに不寛容で排他的

確かに年齢や性別は関係ない定義だ。若い年齢層の仲間意識の中では、空気を読む同調圧力はかなり強いのではないかと思っている。

どう生きていけばいいのか

アート・サイエンス・クラフトをバランス良く学びながら、美意識(倫理観や道徳観)の道を踏み外さないように努める。

著者は人生のピークが後半にシフトしている時代だと言っている。そして必然的にこの時代を生き抜くためには仕込みの時間が長くなる。

これ以外にも本書には書いてあるけれども、ネタバレ過ぎるのも何なのでこの辺にしておく。

分野とスキルのマトリックス、とか。

ブログを続ける上で参考になる点も多い本だった。

ブログに当てはめれば

アートはデザイン、全体のポリシー。デザインとは設計でもある。

サイエンスは技術的な知識。SEOやライティングスキルもこの範疇だろう。

クラフトは知識だけで終わらせない実行力。行動力。

記事を書くことひとつとっても、アート・サイエンス・クラフト全てが必要になる。

ヘンな自己啓発にハマるよりも、今そしてこれからの時代を生きていく上で、またブログを続けていく上で指針となる本だった。

学習や経験で大切なことは、量よりも質。

美意識と知的戦闘力を高めてモビリティを獲得する、とかブロガーにまんま当てはまるやん。

出世したのだから優秀な人なのだろう、は危険な考え方

組織内で出世して権力を得た人は、優秀だから出世したのではなく、野心的に政治的に動いたから今の地位に座っている。

全ての役職者がそうだとは言えない。しかし出世と社内政治の相関関係は否定できない。

そしてSNSやYouTube、ブログで稼ぐフリーランスを推奨するインフルエンサーさん達は、それぞれに表現の違いはあっても

会社組織やサラリーマンを否定しつつ、自分が組織(コミュニティ)の長であることを維持する社内政治活動と同じことをしている。

イエスマンの配下が一定数いないと、商売が成り立たなくなってしまうから。

だから発言に矛盾が多い。セールスは上手いし、初心者に理解しやすい情報提供のテクニックは優れているのかもしれません。しかし専門的な知識は浅く薄く間違いも多い。

教養と言う側面では薄っぺらい。

フォロワー数、収益、アクセス数・・・数字がそのまま人としての優劣を表してはいない。歪みを感じる人が増えているのも最もだと思う。

マルチ商法の親玉と変わらない方法論を実践しているんだよなあ…