高橋祥子氏のnoteを読んで思ったこと

2020年8月3日

Critical Thinking批判的思考

Twitter上のリプで高橋祥子氏の過去のツイートを探していたら、とても参考になる考えさせられるnoteを見つけました。
紹介しつつ、僕の思うことや考えていることを書きたいと思う。

端的に言うとインスパイアされたのです。

ちなみに探していた高橋祥子氏のツイートはこちらです。朝活や早起きの一律強要はナンセンスというお話。

高橋祥子氏の経歴

ジーンクエスト・ゲノム解析ベンチャーの代表取締役社長。生命科学者。京都大学農学部、東京大学大学院農学生命科学博士号修了。

著書『ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか? 生命科学のテクノロジーによって生まれうる未来』

この記事の本題となるnoteがこちら。

テクノロジーが強調される世界で思考停止しないために考えていること

「テクノロジーが強調される世界」に限った話ではなく、様々な分野やジャンルに応用できる腑に落ちる重要な考え方なのではないでしょうか。

  • テレビを始めとするメディアの報道や、コメンテーターの見解を鵜呑みにしてしまう。
  • 「誰々がこう言っていた」と人の話を検証することなく信じてしまう。
  • インフルエンサーの発言に「さすがです!」「すごいですね!」と脊髄反射。
  • フェイクニュースに疑問を感じることなく信じてしまい拡散。
  • ロードバイク関係では「雑誌でべた褒め」「インプレ鵜呑み」で機材の良し悪しを結論付けてしまう。

批判的思考

決して疑うとか信用しないという事ではありません。クリティカルシンキング(批判的思考)は、情報を無条件で鵜呑みにしないで、分析し考察を加えるということ。

あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法である。批判の定義については論者によって異なるが、共通的には、単に否定的になるのではなく、自身の論理構成や内容について内省することを意味する。その方法論としては、考察対象をよく理解すること、間違った推論を起こす暗黙の前提を明らかにすること、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B9%E5%88%A4%E7%9A%84%E6%80%9D%E8%80%83
Critical Thinking批判的思考

数学の問題に例えるなら、自分で再計算して答え合わせをして再確認すること。

確かめ算もしないで、回答が正解か間違っているかなんて判りませんよね。

アメリカの教育やインターナショナルスクールでは、クリティカル・シンキング(批判的思考)は常識だそうです。

思考停止しないために

カオスな環境を経験すると、主観的命題としての「問い」が設計されやすく、結果物事を起こすエネルギー源になる

と仰っています。なんとなくわかる気がする。

「自分はこうだから」「こう思ったから」おしまい。

これでは思考しなくなってしまうということですね。

生物学的人間と科学的人間。思考することを諦めないために

高橋祥子氏は生物学的人間と科学的人間をこのように定義しています。

生物学的人間

人という生物が持つ体感、感情、感覚によって外界を捉えていくこと。

科学的人間

自分の持つ科学リテラシーによって世界を捉えていくこと。

感情をよりどころに結論付けるか、思考を巡らせて結論を導くかの違い。

生物的認識と科学的認識の間に断層があっても、知性を持ってその差を解消することができます。その対象が「思考量」でも同じだと考えています。

つまりエネルギー消費の抑制のために生物的には思考停止しそうになっても、知性によって能動的に思考量をコントロールすることができるということです。

山口周著『世界のエリートは何故美意識を鍛えるのか』に通じる話も書かれています。

要は感性を鍛えよ、ということですね。直感や第1印象も過去の経験や学習から生まれてきているものだから。

思考の原点とプロセス

思考停止しないためには柔軟性(感受性)を持つことで、問いを再設計し分析し思考していく。

角度を変えて、立ち位置を変えて、思考を再構築してみる。

感情を切り離して理論の構築は出来ない。人間だもの。

しかし感情や感性も、磨きをかけて成長させていくこともできるのではないのか。

2:8の法則ではないけれど、思考分析しない人の方が多いような気がするのは、あながち間違っていないような気もします。しかし、人は思考していく努力は出来る。

脳を使うというのはとてもエネルギーを消費するため、エネルギー効率を考えると、生物は思考しなくてもよい環境であれば極力思考をしない方を無意識に選択すると考えられます。

思考しないでも楽に生きていける便利な世の中に、変わってきてしまっているのかもしれません。

そんな気付きを与えてくれる記事でした。