こたつ記事と提灯記事

2021年1月14日

発信できるモノが何もないのにブログを書いたり、コンテンツクリエイターになろうとすると…

「インフルエンサーのように影響力を持ちたい」「副業で稼ぎたい」「SNSのフォロワーを増やしたい」

手段が目的化してしまい、方向性を誤ってしまうとどうなるか。

僕なりに考察してみようと思う。

誰もが情報を発信することができるSNSの普及から、情報の受け手側の立場と発信側の立場双方から考える必要がある。

bistarai.info

こたつ記事とは?

ブログやSNS、海外記事、掲示板など他人や企業が発信した情報を引用や評論をし、パソコン1台、スマホ1台でこたつの中だけで出来上がった記事のこと。

自ら経験したり体験したことが記事になっている訳ではありません。

こたつ記事は個人が発信しているSNSやブログ等に限った話ではありません。

マスコミが発信しているニュースや記事、番組でも取材や検証なく発信されているものもある。

こたつでぬくぬくしながら、こたつ記事を検証してみる。

こたつ記事の語源と発祥

本田雅一氏のツイートが発祥の模様です。

こたつ記事の今を考察

なぜ「こたつ記事」は増えたのか 10年前に作った言葉がにわかに注目を集めた理由|IT Media NEWS

こたつ記事全てが悪い訳ではなく、鋭い視点や考察がそこにあれば「う~む、なるほど」と思わされる。

海外記事の翻訳も語学が苦手な人にとってはありがたい。

情報を取捨選択して提供するのも、情報化社会の現代に於いては必要な事なのかもしれません。取捨選択が正確にきちんとできていればの話ですが。

コピベで記事を構成する『こたつ記事ライター』も存在します。
経験から湧き出てくる文章ではない。内面から滲み出る文章ではない。だから情報ではあるけれども、かみしめて味わいたい文章や記事になっていない。

Yahooのようなポータルサイトだって、メディアから配信されているニュースや記事をまとめている。だからこそ便利だとも言える。
※Yahooはメディア配信記事のまとめだけに留まらず、サービスの提供もあるからこそ『ポータルサイト』になっています。

SNSの欠点は「素人の素人による素人のためのニュース」が増えることである

だからフェイクニュースが蔓延する|プレジデントオンライン成毛眞氏の記事

素人の素人による素人のためのニュース

SNSの欠点は、消費者、一般大衆の話しか出てこないことだ。そして、消費者が消費者の話を聞いて納得しているだけで、そこには専門家の視点が欠如することになる。

https://president.jp/articles/-/42166

「Twitterは現代版2ちゃんねるだ」と誰かが言った。僕も同感である。

玉石混合。

2ちゃんねると異なるのは、Twitterにはミュートやブロックの機能があること。フォロワーを選択できること。

論戦に応じなければ、スルーしておけばTwitterの方が燃えにくい。上手に利用すればTwitterの方が引火性は低いし、平穏なタイムラインを構築していける。

常日頃から「アンチが~」「わざわざ反対意見を言ってくる人って何なの?人それぞれ、好き好きでしょ」と言っている人は、自己顕示欲が強過ぎるか議論の深堀りが出来ていない場合も多いのではないでしょうか。

好きなもの、気に入っているもの、その人の考え方、その気持ちは否定しない。しかしそれが最全解か、最適解かどうかとは別の話。
議論や反対意見から知のアップデートが出来る場合も有るのだから。

仕事の上でもリアル社会でも、異なる意見が出てくると最初に拒絶反応を起こす人がいます。

「嫌だ」と感情で拒絶してしまうので「そういった見方もできるよね」から始まって、議論を進められなくなってしまう。

親しく気の合う友人に向けて直接話をすることと、SNSでの発信は根本的に異なる。

不特定多数の人が、その発信や言説に触れることができるのだから。

そしてSNSでは誹謗中傷と指摘が区別もされないで「いけないこと」「排除すべきこと」にされてしまっている雰囲気もあります。

指摘や改善案、訂正案とシャーデンフロイデは、発言の背景もその意味合いも全く別物です。

情報の切り取り

多くの人が情報や報道を見たいようにしか見ていない。または自分に都合が良いように切り取って解釈をしている。

更に言うなら好きなもの、気分が良いもの、見たいものしか見ない人が、リアル社会でもSNSでも増えているように思う。

報道や情報が洪水のように溢れている現在、正確な情報や有益な情報は積極的に探していく必要性もあるのではないでしょうか。

僕はテレビのワイドショーは全く見ません。芸能人のコメンテーターの感想など、個人的に全く不要だと感じているのがその理由です。
報道の仕方も初めに結論ありきで視聴者を誘導する意図が見えてしまうことも多いです。

Twitterでも何でこれが??と思える報道の切り取りや曲解が、トレンドになってしまうことも多々あります。

結論を急ぎ過ぎる

時間に追われ忙しい現代の社会人は、深く考察したり検討や分析に時間を掛ける事が出来なくなっているように思う。

答えだけを求めてしまっている。その答えに辿り着く過程が省かれてしまうのだ。

記事やニュースの見出しや要点しか見ていない。長文を読めない。などが典型例でしょうか。

その思考の過程にこそ、実体験を伴わないこたつ記事を見極めたり、導き出された結論が正しいかどうか確認できる手段にもなっているのに。

回答を記憶するだけでは方程式を解けるようにはならない。開発や研究は何年もかかってようやく結論に辿り着けることも多い。

思考が省略されてしまうと、何か大切なものが失われてしまうと思う。

情報商材に群がってしまう人達が絶えないのも、結論や結果だけを焦って求めているからではないでしょうか。

過程を伴わない結論だけを手に入れても結果は伴わないのです。

売らんがために宣伝の度が過ぎると、情報の正確性や倫理が損なわれてしまうのではないでしょうか。

ロードバイク(自転車)業界では?

趣味のコミュニティ内なので社会的にインフルエンサーと呼ばれている人とはスケールは異なりますが、自転車界隈内でフォロワーが多く発信に影響力がある人たち。

その多くがメーカーから製品の提供を受け、YouTubeやSNSで発信しています。

楽しそうな、良さそうな雰囲気を醸し出しているだけで、役に立つインプレッションを見たことがないw

提供された物だから悪く書かないし、狭い業界内の仲間内での忖度で回しているようにしか見えない。

間口を広げたり、初心者さんをターゲットにしていると言われたらそれまでなんだけど…

ブログで稼ぐとかオンラインサロンに入っている意識高い系の人たちに感じるような、テンション高いだけで中身のない薄っぺらさを感じてしまう。

どんな製品でも、こんなユーザーにはフィットする良い製品だけれど、その長所がこういったタイプの人には向かない欠点になってしまう事だってあります。

難しい問題ではある。僕個人の力だけではどうしようもない側面もあるかもしれない。

しかし微力ながらこのブログでは出来る限り体験や経験を基に、時には辛口に顔色を伺うことなく記事を書いていこうと考えています。