批判や批評とは?誹謗中傷と何が違うのか?

2020年6月1日インターネット全般

批判と誹謗中傷

批判とは

批判とは、

良い所と悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。

物事に検討を加えて、判定や評価をすること。

言動や仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。

SNS ( Twitter、インスタグラム ) 上での誹謗中傷が引き金となり、5月23日に亡くなった女子プロレスラー木村花さん。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

出演していたフジテレビ系列の【テラスハウス】なる番組のこと、木村さんご本人のこと。全て後追いで知ることになったので、詳しくは語りません。語る資格もない。

しかし、SNS上で起こっていたことは、批判ではなく繰り返し執拗な誹謗中傷であった。

演出のある番組内のシーンのことで、出演者を誹謗中傷するのはどうかと思う。そして、このようなことが今後起きないよう対策は必要だ。

音楽評論の世界

音楽評論と評論家

この世には、住む人間の数だけ異なる意見がある。書かれた音符は、読む音楽家の数だけ異なる読み方をされ、「音」として聴き手に伝えられる。そして聴く人の数だけ異なった感銘を生む。
芸術と文化には、数理や科学の世界に見られるような「正解」は存在しないのである。

「クラシックCDの名盤 演奏家篇」まえがき中野雄より引用

宇野功芳、中野雄、福島章恭3人の共著。その中から中野雄のカラヤン評から一部を抜粋。

平和の時期が長く続くと、人々は思索より享楽を好むようになる。思索と瞑想を好む例外的な人には、すでにあのフルトヴェングラーの音楽があった。~中略~ となれば、成功への近道は、音楽に愉しみだけを求める大衆に、そのような音楽を供給してあげること。

「クラシックCDの名盤 演奏家篇」中野雄カラヤン評より引用

決して感情的ではない。冷静で知的な文章でもある。しかし、カラヤンとカラヤンのファンを享楽を好む大衆と断じている。僕も同感ではあるのだけれど。

SNSが普及した現代社会での表現で誇張すると「カラヤン信者は情弱」と言っているようなもの。

氏のマニア受けする老大家を絶賛するスタンスから、一部の人からは「偏っている」「現代の演奏家や作曲家を認めていないので、音楽業界の発展の足を引っ張っている」とも批判されていました。
※カラヤンは絶大な人気を誇っていましたが、ここで言う老大家ではありません。

僕は中野雄氏の録音したレコードやCDも所有しており、著書も評論も読んでいます。ウィーンフィルのメンバーが来日した際に録音したレコードは演奏も録音も素晴らしく、今でも大切にして聴いています。
音楽評論や著作についても共感できる点ばかりで、僕の中では大先輩の文化人的な位置づけ。

続いて福島章恭の小澤征爾評

どれも最初の数分を聴いて耐えられなくなった。これらの演奏を最後まで聴かされるなら私には拷問に近い。~中略~ 音楽的に完全武装し、文句のつけようがない小澤と、演奏の欠点を挙げだしたらキリのない(それを隠そうともしない)無勝手流の朝比奈と、結局は朝比奈に惹かれてしまうのだから、音楽とは面白い芸術である。

「クラシックCDの名盤 演奏家篇」福島章恭の小澤征爾評より引用

小澤征爾が2002年にウィーンフィルを振ったニューイヤーコンサートのCDは、クラシックのジャンルでは異例ともいえる100万枚を超えるセールスを記録している。

ワルツなのに弾んでいない。ジャズ評的に言えばスイングしていない。僕は視聴しただけで「こりゃあかんわ」と買わなかった。つまらない躍動感のないワルツだなーと。

宇野功芳は小澤征爾を「人気は高いが味の薄いアサヒ・スーパードライのよう」と評して物議を醸した。

このように辛辣な評論家が存在していて、その酷評が書籍に書かれている。ここでは、敢えて酷評の側面だけをピックアップしたけれど、3者共に褒めるべき演奏家は知名度や人気の如何を問わず絶賛している。

宇野功芳が朝比奈隆を終始絶賛していたのは大きな功績のひとつ。

オーディオ評論の世界

音楽評論に対してオーディオ評論は酷評が非常に少ない。製造メーカーや海外製品を輸入販売している商社から製品を提供され、メディア(主に雑誌社)やメーカー、商社や愛好家からは「先生」と呼ばれるオーディオ評論家がその評論の業務を担っている。

貸し出しに限定されず製品を提供される場合もあるし、原稿料以外の対価の受け取りもある業界なので、その評論は悪くなることはない。
良いものは良いままに書かれているのだけれども、悪いものや好みの差がはっきり分かれる製品評はたちが悪い。

提灯記事と言われても仕方がない記事も多い。

SMEシリーズⅤは発売当初から現在に至るまで、オーディオ雑誌には僕の感想とは全く異なる記事しか存在していない。
個人的には提灯記事の代表格だと思っている。

今ではオーディオ雑誌はほとんど読まなくなってしまった。機材もここ5~6年以上は買っていません。
しかし夢中になっていた頃は、ステレオサウンド誌を始め月に2~3冊の雑誌を貪るように読み、2ちゃんねるピュアAU板にも入り浸っていました。
オフ会に参加したり、掲示板で仲良くなった人とオーディオ製品の貸し借りをしていた事もあります。(遠方なので宅配業者で配送依頼。お互いの個人情報を教え合っていたことになります)
※SNS経由で知り合った人と実際に会ったり、住所氏名を教える事を推奨はしません。むしろ、会わない、個人情報は教えない公開しないが鉄則です。
その頃の様子は過去記事「中川淳一郎「ネットのバカ」と2ちゃんねるで経験したこと」に少しだけ書きました。

良かったらこちらも読んでみてください。

登山界では

登山界の批判

アマチュアの趣味の登山では、他人に迷惑を掛けたり、ゴミを山に放置などの行為がない限り批判の対象にはなりにくい。遭難は別だけれども。
登山をしていない人達からは「好きで山に行っているのに、税金を使って救助されるのか!自己責任だろ」と誹謗中傷の対象になることも多いです。

地図を持たないで登山計画不足のまま山に入り、道迷いで遭難しかけた人がいました。SNSで準備不足や知識不足を指摘されて逆ギレ。炎上したこともありましたね。

批判や誹謗中傷とは無関係ですが、自己顕示欲の強さや過大な承認欲求が災いして、登山では命に係わる重大な事故になってしまった例もあります。

登山界の有名人では栗城史多さん。ご本人が雲隠れしてしまい、今だに決着が付いていない山写さんの件が、多くの人に知られている登山界でのSNSにも関係する出来事でしょうか。
栗城史多さんは登山家としての実力不足とトレーニング不足。そして単独無酸素の経歴詐称。話を”盛る”登山報告。
SNSでフォロワーを増やし、講演会での集客やスポンサー獲得に利用していました。登山家としての実力で培った訳ではありません。
山写さんはヒマラヤ山行歴の経歴詐称が問題視されました。
山写さんは早く謝ってしまえばそれで済んだのに・・・と思うのです。

宇野功芳の文体を真似た栗城史多評(パロディ風)

栗城史多さんは生前にSNS上で正当な批評や批判もブロックしコメントを削除していました。Twitterや特にFacebookでは「感動しました」「勇気を貰いました」の絶賛コメントだけが残されるようになっていました。

ロードバイク界では

自転車ロードバイクとSNS

自転車、ロードバイク界隈でも有名人や女性のSNSでは、誹謗中傷があります。残念ながら・・。マウント取りたい男子がいるみたいです。

実際に見ても触っても使ってもいない製品の評価してるなよ、という僕には正当とも思える批判から、誹謗中傷まで。

メディアの製品評では、頷ける評価が書かれていて参考になる記事もあれば、ヨイショ優先の提灯記事も無きにしもあらず。また、個人的な好みで主観入り過ぎじゃないか、と思える記事もありますね。

個人ブロガーで非常に多くのアクセス数を誇っているブログには、メーカーから製品を提供されインプレッション記事を書いている場合も結構あります。
そのような記事は、読めば察しがつきますね。不自然な誉め方してるもん。

ロードレーサーの交通マナーについて

6月13日追記

あるジュニア選手が信号無視をしてしまっている動画がSNS上に流れ、ロードバイク界隈ではプチ炎上という状況になりました。

該当選手も真摯に謝罪文を公表したし、所属チームも謝罪文を発表。その後黙っていればいいものを関係者や他の選手たちの発言が、逆に不信感を抱かせる事になってしまっているのが残念です。

身内というか先輩に該当する選手が「誹謗中傷やめろ」発言は違うと思う。

「動画を本人の了承無くSNSに晒すのが悪い」や「未成年なのだから」も論点のすり替え。「批判するヤツは教養がない」とか身内を守るための発言でしかない。炎上して個人が特定されてしまったことは結果論であり、信号無視をしてしまった選手の行動が論点なのだから。

ましてやSNSに動画を晒さないで「先ずは所属チームに連絡」とか。一般人にはウェアから所属チームを割り出すなんて簡単な事ではないだろうし。ロードレースを全く知らない人が、そんな事思いつくかしら?

信号無視は道路交通法違反なのだから、批判(誹謗中傷や悪口ではない)されても仕方がない。「該当選手と共にに交通ルールとマナーを守るように気を付けていきます」程度に留めて、あとは黙っていれば沈静化するのに・・・。

選手や関係者たちが余計な事を言ってしまっている感が拭えません。

ロードバイクに乗っていない一般の人から見ると「信号無視くらい見逃せよ」と言っているように見られてしまいますよ。

そんな中で愛三工業レーシング所属、大前翔選手がブログ記事で的確な意見を述べていたので紹介します。

僕自身も聖人君子でもなければ、立派な人間ではない。気を引き締めていかなければ。

当該選手は苦しい時かもしれないけれども、励ましの言葉も厳しい言葉も、今は全て受け止めて今後の成長の糧にしてほしい。バドの桃田選手のように。

これからSNSはどうなっていく?

僕自身はTwitterもやっているけれど、特定個人に向けた誹謗中傷は行っていません。但し、繰り返し執拗にでは全くないけれど、批判はした事があります。
このブログでも栗城史多さんの批判記事は多いし。

批判と誹謗中傷は異なる。

これが僕の持論でもあります。批判の中に自分なりの倫理観、道徳観、規範を持っている。

不正や嘘、誇張しすぎた表現に対して批判を行っている。

SNS上では、インフルエンサーと呼ばれる人たちが、所謂アンチに向けて「裁判だ」「これからは訴えるぞ」と騒がしい。

自己正当化の道具として、一種の言論弾圧のように利用してしまうのは如何なものかと思う。

法改正の動きもあるようですし、SNS投稿の監視化、規制化の動きもあるようです。今後どうなっていくのでしょうか?

批判と誹謗中傷の線引きをはっきりさせておかないと、法に触れる触れないだけの意味ではなく、倫理的、道徳的に如何なものかと思われるような、人を陥れるような発言も言いたい放題になってしまいます。

繰り返しますが、批判とは

良い所と悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。

物事に検討を加えて、判定や評価をすること。

言動や仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。

誤りがあれば訂正し、上位互換の意見があればアップデートすればいい。謝る必要があるときは謝ればいい。

意見や物言い全てが悪になってしまうようなことは避けなければいけないと思います。

批判力 フェイクを見抜く最強の武器

SNSで良くも悪くも見受けられる、批判に対しての反論「批判する奴は暇人」「誹謗中傷に時間を使うぐらいなら、自分の成長のためになることをしよう」

こういったことを言う人間は、非難や誹謗中傷と批判の区別ができていません。

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