高野秀行・角幡唯介「地図のない場所で眠りたい」

2019年1月20日

地図のない場所で眠りたい

早稲田大学探検部の先輩後輩である高野秀行、角幡唯介の対談集

年齢差から2人が探検部で活動を共にした事は無く、卒業後に共に作家となっても、なかなか接点が無かったそうです。しかし、そこは同じ探検部として、通じる者同士ならではの対談になっています。

2人の取材観や、冒険と探検に対する意識の違いなどを知る事が出来、背景を知り2人の著書をより深く読めるようになる参考書とも言えそうです。角幡唯介氏は人間の居ない自然へと向かい、高野秀行氏の取材対象は結果として辺境や僻地になる場合もありますが、僻地に赴く事が目的にはなっていません。大自然の中、たった1人で自己の内面と向き合うのか、自分が見て体験した外界=動物であるのか、人間であるかは問わず、に対象があるのか。そこには大きな違いがあるように思います。

一般論として・・・仕事に就いた社会人には、長期の休暇をとって旅や冒険をするのは、ほぼ出来ないこと。自分自身に不可能な行動や経験の追体験ができる。これが、高野や角幡の著書に惹かれる大きな理由なのかもしれない。

まして、僻地や渡航が制限されている国や地域、北極やソマリアなどは、追体験をしたい訳ではない。余り知られていない事を知ることが出来るという、好奇心が満たされるというか、生意気で大げさな表現かもしれないけれど、2人のノンフィクションを読むことが、読書が知的な冒険になっている、と言えなくもないのではないでしょうか。

ノンフィクションとは何か

自己の体験や経験に基づき、生み出された書籍や映像、記事などの作品。インタビューや取材を基にした作品も含まれる。虚構や創作に拠らず事実に基づいた作品。

英語ではnon-fiction。フィクション(虚構)ではないことがノンフィクションの定義になっている。虚構ではないこと、全てが事実である、イコールではないところがあり、フィクションとノンフィクションの境界線はあいまいになりがち。

脚色や”盛った”表現が横行しがちな中、2人の作品は間違いなくノンフィクションの本筋であると思う。興味を引くために、面白おかしくするために脚色や創作を加え、事実を歪めてしまう。これではノンフィクションと言えないと思う。

ちなみに後書きにもありますが、両者の対談をまとめたのは、同じ早稲田大学探検部出身の山岳ライター森山憲一さん。森山編集所「栗城史多という不思議」で一躍時の人?になってしまいました。高野秀行とは世代も近く「幻獣ムベンベを追え」では”そつのない森山”として登場しています。

彼らの後輩、早稲田大学探検部カムチャツカ遠征記の活動にも注目してください。