栗城史多さんについて

2019年2月1日

盛った嘘で自分を飾りファンを獲得する虚業師

単独無酸素も嘘。ドーピングという不正行為も行っていた。大した実力もないしトレーニングもしていないのに『凄い人』『頑張っている人』と見せかけることに長けていた栗城史多。

実力はあるが海外遠征の資金が十分ではなく、難易度が高い困難な山を登頂しても認知度や知名度が低い多くの登山家がいる中で、何故栗城史多がこれほどまでに世間に知られる事になったのだろうか?

そう、彼は登山家になりたかったのではない。インフルエンサーになりたかったのだ。

エベレスト

栗城史多への違和感

栗城史多さんを知ったのは、何年前の事だっただろうか。

最初にテレビで見て、その後は暫く気にも留めていなかった。別段素晴らしいとも思わなかったけれども、単独とは言えない映像が有ったり、何かが違うような漠然とした違和感は感じていました。
動向を追うようになったのは2012年秋のエベレスト遠征で凍傷になったころからです。凍傷の初期症状を見逃して判断を誤り、帰国後も再生医療やら怪しげな治療を受けていて、何だこの人は?と疑問が大きくなった事がきっかけです。
リアルタイムで登山の様子を追うようになったのは、凍傷から復帰後の2015年前後からになります。どちらかというと日本人初の8000m峰全14座登頂の、竹内洋岳さんを応援しながら追っていました。

友人知人から栗城史多さんのことを尋ねられ「いや、そんな大した登山家でもないんだけれど・・・。」と言葉を濁しながらも答えると、「でも登山家の中でも有名。」「テレビに出てるし。」「頑張ってるよね。」登山家としての実力とはかけ離れたところで栗城さんの評価が、登山をしていない人たちの間で固まってしまっているようでした。

登山は他のスポーツのように明確にタイムや順位、勝敗でレベルやランク付けが出来ません。そもそも登山家に順位やランクを付けて優劣を争う事が目的でもありません。
しかし自らの技術レベルや体力の判断、状況や行動判断を誤ると、趣味のアマチュア登山でも、初心者向け日帰り登山コースにおいても、遭難や身の危険に晒される可能性があるのが登山です。

失敗も成功もない。チャレンジし、それを支え合う仲間がいる。それだけで幸せだ。

成功する確率。それが何の役に立ちますか?

栗城史多さんの言葉です。この人、本質的に登山に向いていない考え方をしています。経験値を重ね知識を深める事でリスクを減らし、自分自身の身を守る。
事故や遭難の確率を限りなく減らしていくことが必要だと思うのです。
何もエベレストや超1流のクライマーが挑戦する難易度の高いクライミングでなくても、例え日帰り登山でも同じ事が言えます。

挑戦の意義は分かります。しかし学び、そして成長する事も必要だと思うのです。

危険と隣り合わせのスポーツでは、無知や技術が伴わないチャレンジは無謀なだけ

しかし栗城さんの言葉を登山家のそれではなくて、起業家が顧客を獲得するためのセルフブランディングとするならば・・・腑に落ちるように思えるのです。

セルフプロデュースとセルフブランディング

一貫した言動によって望ましい自己イメージをつくりあげること。そしてそれをストーリーで語るということ。インターネット時代の現代に於いて、自分で商売する人にとっては、極めて重要なことだとされている・・・そうです。

自己啓発に分類される関連書籍やセミナーなんかもあるようです。

セルフブランディング 企業や組織に所属しない個人が、自らをメディア化し、自らの力でプロモーションすること。SNS やブログを通じて、知名度を広げるための自己発信。 意識的に相手へ自分の価値やイメージを伝えることで、ビジネスで優位に立てるマーケティング手法のひとつ。

商品の価格や品質とは別次元で顧客に価値を提供できるため、顧客との関係において優位に立てる効果がある。

は?

誇大広告と言うか何というか・・・詐欺師やペテン師にもそのまま当てはまりますよね・・・。

セルフブランディングは、フリーランスで起業や独立といった働き方とセットになって言われ始めた事のようなので、今では

イメージ操作をして作り上げるものなんかじゃない。ありのままの自分をさらけ出して、その価値を伝える事。

大した事でもないのに凄そうに見せて関心を引く事じゃない。見せかけだけでは何時か破綻する。ブランディングとは装飾ではない。本質を追求し、磨いていくことだ。

といった見解も有りますので、セルフブランディングを全否定するつもりはありません。

意識高い系(笑)登山家(下山家)とも揶揄されていた栗城さん。人脈づくりに励むよりも、登山家としての能力を磨くトレーニングや努力に目が向いていたら・・・と思わずにいられません。

栗城さんのセルフブランディングに感動して勇気を貰うか、嘘偽りを含んだ過剰な装飾と取るかで、ファンになるか、適切な言葉ではないけれどアンチになるかが分かれるのではないでしょうか。

自己啓発やアフィリエイトブロガーとか一定数の信者獲得が必要な業界と思考も行動も栗城史多さんは瓜二つなのです。

如何にも凄そうな『盛った』嘘の言葉で自分を飾り、『凄い人』『頑張っている人』と見せかけて信者を獲得しているところが。

エベレスト登山

単独無酸素の嘘

残された映像の記録から単独登山は大嘘で、その後に山を登る栗城史多が楽に登れるように、ロープを張ったり雪を整地したりと、事前にシェルパがルート工作をしていた。

上部キャンプへの荷揚げもシェルパが手伝っていた。

この時点で単独登山とは言えない。

そして上部キャンプへシェルパが酸素ボンベを荷揚げし、その酸素を栗城史多が吸っている映像や無線交信も記録に残されているのです。

年を追うごとに映像の編集が上手になっていき、一見すると1人で登っているように見せかける事が上手くなっていましたが・・・。

『頑張って挑戦する人』と見せかけている裏側に、多くの嘘が有ったのは事実です。

栗城史多と早稲田大学探検部との違い

早稲田大学探検部 カムチャツカ遠征隊の報告より

本活動では、遠征前後での広報、報告に重きを置いた。
探検と旅行を隔てるものが記録であり、記録は報告されなければ意味がない。私達の体験を知識に変えること、それが重要だと考えた。そのため、私達の報告をより多くの人に届けるため、広報は欠かせなかった。

探検と旅行を分けるものは何か。それは記録である。詳細な記録、再現性のある記録が旅行を探検にする。

体験を知識に変えること。学び、そして成長していくこと。栗城さんに欠如している決定的で、そして致命的なところです。栗城さんの「冒険の共有」と称したプロモーションと、彼らの言う「詳細な記録、再現性のある記録」の根本的な違いです。

印象操作のイメージ作りか、リアルな現実に基づく記録なのか。栗城さんに同行していたカメラマン魚住さんが「カメラの前では”栗城史多”を演じちゃう」と言っています。
都合よく切り取られた断片的なプロモーションビデオや、都合よく構成した文章には、そして演技の中には「詳細な記録、再現性のある記録」は無く、現実や事実からかけ離れていく。

冒険の共有と言いながら、実際にはインスタ映え、SNSの”いいね”欲しさの旅行記に過ぎない。栗城さんからは、知識に変えられるような深い冒険の報告は何も感じられない。
エベレストに遠征し、スポンサーも付いた大がかりなプライベート旅行記。栗城さんが「登山家ではない」と言われてしまう所以です。

詳細な記録、再現性のある記録とは、学問や研究分野での論文に置き換えてもいい。私的で詩的な広報活動とは根本的に異なるのです。再現性が無ければ捏造論文になる。

「価格や品質とは別次元で顧客に価値を提供」している栗城史多さんの「冒険の共有」「否定の壁をなくす挑戦」は、本質や中身のない空虚な内容になっていく。
せっかく現場にいるのに、隠したり演出したりでリアルが無くなり、ノンフィクションがフィクションに変質してしまっているのです。

自撮りは栗城さんの専売特許ではない。栗城さんはパイオニアでもフロンティアでもない。

前例のないパイオニアだから、批判されている訳ではない。

「自分自身でフェアにジャッジを下せないのであれば、登山はスポーツになりえない。」竹内洋岳

登山の自撮りなら、こんな凄い映像もあります。凄まじい自撮り棒の使い方ですね。

キリアン・ジョルネ 世界最強のトレイルランナー。山岳スキーやマウンテンバイク、クライミングでも活動。
栗城さんがあっけなく敗退宣言をした2017年エベレスト遠征では、同時期にチベット側から無酸素ソロ(ノーマルルートなので登山の定義では単独ではない)で2度エベレストの山頂まで往復。
2度目は往復の所要時間28時間半という驚異的な記録を打ち立てる。

栗城さんの登山はツッコミどころが多すぎて、何から手を付けて良いのやら迷うところが多いです。

「教育関連の仕事をしている。」と自称する栗城さん。講演活動も精力的に行い、2018年エベレスト遠征出発前には、登頂出来る出来ないに関わらず、エベレスト登山はこれで最後にしようと思っている、と近しい人に語っていました。登山から足を洗って講演活動に全ての軸足を移すつもりだったのでしょうか。

栗城さんとBCが隣だった近藤謙司隊参加の弁護士さんインタビュー動画

「(栗城さんの方が)はるかにハードなトライをしている」と持ち上げつつも「キャンプとキャンプの移動はシェルパに運んで貰ったりしているんですけど・・・」と単独登山では無かった事実をさらりと仰っています。動画0:58より。

目標や挑戦と実際の行動は異なる訳で・・・

2018年のエベレスト登山では、栗城隊と近藤謙司隊のベースキャンプは隣同士でした。風邪を引いて体調が悪かった栗城さんは、近藤謙司隊のチャーターしたヘリコプターに便乗して、ルクラまで降り医者に診察して貰っていました。

江戸しぐさと栗城史多

当初の歴史学者や登山専門誌など専門家の冷ややかな反応。信者たる会員を募る。歴史を利用して自らを権威付ける。
敵対する勢力や弾圧者を設定し、話の信ぴょう性やコミュニティの結束強化に利用する。学校教育や企業研修への進出。マスメディアや人脈を活用し、認知度を高める営業活動。
クラウドファンディングを利用する。異議を唱える者への反応。事実と異なると証明されても尚それを信じる人が残り、その活動が継続している。
栗城史多と江戸しぐさ、その構図も経緯も瓜二つです。類似点が非常に多い。

NPO法人江戸しぐさ 正会員年会費:10,000円

チームクリキ 年会費:6,480円(2017年春のエベレスト遠征前12,000円に値上げしようとしたが頓挫)

「良いマナーが普及すればいい。」「感動したんだからいいじゃないか。」「道徳は内容の真偽を問うものではない。」ちょっとイイ話なら嘘でも作り話でもいいのでしょうか?耳当りよく心に響けば、それで良いのでしょうか?

教育に、道徳に、礼儀作法に嘘偽りは必要ありません。

歴史的検証に耐えられない。道徳観、倫理観、史実を正しく伝承することよりも、何か違うものが優先されてしまっている。事実とは異なると検証がされても、一度行き渡ってしまった認識は簡単に変わらない。認識を改められない人がいる。

「これ、ほんとうに正しいの?」と疑問を呈し深く検証することを忘れ、批判の一言で片づけてしまう事のほうがおかしい。

真贋分別の眼

人間は本来自分の目で見て良し悪しを見極め、自分の頭で判断して行動するもの。

何が良くて何が悪いのかをきちんと見分ける判断力をつけてかないと、流行に流されたり、人のいうなりにされて後悔する。

日ごろから真贋の見分ける力を養っておけば、自身や勇気が身に付き、信頼される人となるということです。

越川禮子著書「身につけよう!江戸しぐさ」P158より抜粋

江戸しぐさも栗城史多氏も、一見「良いこと」を言っています。そこでは嘘偽りや装飾や創作を既成事実としていないでしょうか?真贋が問われているのではないでしょうか。

江戸しぐさと栗城史多の共通点は、また改めて書こうと思っています。

気分良く前向きになれれば、嘘偽りがあって良いのだろうか?
小説や創作に心動かされるのなら理解できる。しかし江戸しぐさは歴史の改ざんとなってしまっている。創造と捏造ははっきりと分けなければいけない。
人間の「モチベーションとは?」「心の拠り所とは何か?」を考えさせられる。

僕の中で栗城さんの評価は固まっています。しかし今でもどのような表現で、どんな文章を書けばいいのか悩み迷っています。この記事も今後書き換えや編集の手を加えていく予定です。

最後に

生前に栗城さんは「比較するな、批判するな」と常に言っていたけれど・・・「否定の壁への挑戦」とかキャッチフレーズまで生み出して。順位をつけたり、上下の位置付けをして見下ろす事ではないんです。

この記事に書きましたが、人は道徳観や倫理観を持って生きている。この本の著者山口周は美意識といっている価値観のことです。

この一線を超えた振る舞いや行為をしようとしている、またはしてしまった。明確な美意識を持っている人であれば、「それは間違っているのではないか」「それは許されないのではないか」と声を上げる。

明らかに嘘をつき、他のスポーツでは明らかな不正行為として禁じられているドーピングまでしていたのだから。

批判は悪口ではない。良い所と悪い所をはっきりと見極め分析し、評価や判定することである。

僕のもうひとつの趣味であるロードバイクでも、自分の実力や能力を把握しないで、過信して限界を超えたスピードでコーナーに突っ込んでいったら・・・簡単に落車、転倒、事故、怪我に繋がります。峠の下り坂やレース中の集団でスピードが出ていれば大事故に繋がってしまいます。

登山も同じこと。自分自身の限界点を把握し、能力の見極めが出来なければ事故や怪我や遭難、場合によっては命にも関わる。挑戦することと自身の能力を超えた無謀との境界にその限界点がある。

  • 挑戦し続ける事が素晴らしい。
  • 目標に向かって頑張る姿が素晴らしい(栗城さんはトレーニングしていなかったけれど)
  • 亡くなった人を冒涜するな。

栗城さんは自身の能力の限界点をあいまいに表現し、凄い登山家だと思わせる能力に長けていた。地道にトレーニングを継続し、限界点を上げる努力を怠って・・・。

自分自身の限界点を見極めて、事故を未然に防ぎ命を守ること。この警告が批判や中傷なのでしょうか?

「勇気をもらった」感動物語で終わらせて良いことでは断じてない。

ロードバイクでもレース中の集団内では車間距離を詰めて密集して走っているため、走行ラインを乱している人やバイクコントロールが上手くない人には、「怒鳴られた」と感じるほどの声が浴びせられることがあります。

「気を付けろ!!」「バカヤロー!危ねえぞ!!」「下手くそ!後ろに下がってろ!!」

声は荒い場合もありますが、これも落車や事故を防ぐため。批判や中傷が目的ではない。レース中に走り方を教えている余裕も時間もないので、どうしても注意の声は荒くなってしまう場合が多いです。

僕が以前から見ていたのは、

栗城史多公式サイト https://www.kurikiyama.jp/

栗城史多公式ブログ https://lineblog.me/kuriki/

栗城史多 “SHARE THE DREAM”facebook https://www.facebook.com/kurikiyama/

栗城史多twitter https://twitter.com/kurikiyama

以上の栗城さん側から発信された情報に加えて、

栗城史多まとめ@wiki https://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/

海彦・山彦 の白秋日記 – Yahoo!ブログ ⇒ Yahoo!ブログ閉鎖によりLivedoorブログへ移転

森山編集所:栗城史多という不思議

森山編集所:栗城史多という不思議2」

亡くなってからは、
森山編集所:「賛否両論」の裏側にあったもの
寄せられたコメントの多くに賛同でき、その視点や文章表現にも感心させられました。

森山憲一さんによる、文春オンライン:賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか

チェ・キタラの「隅っこまで照らすな」:一時期栗城さんを取材していたTVディレクターのブログ。2019年2月1日の投稿「栗城史多さんに関する記事について、お知らせします」では、過去の栗城さんに関する記事を2月14日をもって削除するとしています。ブログ主さんが取材を止めた以後の事柄も含めて、栗城さん関係者に改めて取材し「どうせなら、ちゃんと書きたくなったのです。もっと内容が濃いものを、何らかの形で伝えたいと思うようになりました。」とのことです。⇒ その後ブログ閉鎖

その他「栗城史多」で検索し、インターネットメディアの報道や個人ブログ、SNSなどにも目を通しました。個人の方の意見は賛否問わず拝見させて頂いています。

2020年7月18日追加情報

「内容が濃いものを何らかの形で・・」とは書籍化だったのですね。速く読みたいなあ。

デスゾーン 栗木史多のエベレスト劇場』2020年11月26日発売決定しました。

2021年1月追記

河野啓著『デスゾーン栗城史多のエベレスト劇場』を読んで

これは栗城史多さんの批判本ではありません。オンラインサロンやSNSを利用して『何者かになりたい人』『影響力を持ちたい人』『インフルエンサーになりたい人』・・・

インターネット上には、こんな人が大勢いるのです。

『栗城史多さんのような人』『栗城史多さんのような人を信じてしまう人』現代社会へ向けた警笛を鳴らしている本ではないでしょうか。